今夜は月がきれいだ。かの人も同じ月を見ているだろうか、とそんな和歌を思い出す。今日はなかなか予定の合わなかったお友達と昼から夕食までのんびり過ごした。同じキリスト者なので「分かち合う」という感じだ。やらなくてはいけないことがお互いにたまっている状況だが、そんなことよりともにともに過ごす時間を大事にした。このごろ、ゆっくり考えてから動き出すようになった。もちろん、感覚的にそれ!と動き出すこともあるが、基本的には時を待っている。そこまでは、まだ迷いのときなのだと。答えは向こうからやってくるというのか。急がなくても大丈夫と思えるようになった。ゆっくりしていても確実に物事が進んでいる。
生きるということもそんなことのように思える。細胞が私を生かしているというのか。そんなふうに動いていると身体は機嫌がいいらしい。私ではないなにかが私を生かしているというのか。身体も無理をせず時を待っているようだ。
紅葉を愛で、月を愛で、師走のあわただしさも逃げていくようだ。でも、明日は仕事かな。
生きるということもそんなことのように思える。細胞が私を生かしているというのか。そんなふうに動いていると身体は機嫌がいいらしい。私ではないなにかが私を生かしているというのか。身体も無理をせず時を待っているようだ。
紅葉を愛で、月を愛で、師走のあわただしさも逃げていくようだ。でも、明日は仕事かな。