今日は都内に出かけると、ぱらぱらと白いものが落ちてきた。今年は本当に寒い。子供のころを思い出すと、朝は下着などを温めてもらって、暖かいところで着替えていた。木造の家はかなり寒かったのだろう。雪の写真も多い。
京を訪れると、歴史に触れることが多い。最近は特に自分の歴史音痴にあきれる。教科書(小学校)の太文字程度しか覚えていない。高校の歴史の先生は司馬遼太郎さんのような先生で、記述の試験問題を出すような先生だったので、暗記ではなかった。大学受験は、地理で受験したので歴史は素通しした。子供たちの勉強を教えるようになっても、理系の先生が少ないので理科を教えていた。だいたい、暗記する(努力する)ことが嫌いなのだ。しかし、京の寺社を訪れると別の興味が湧いてくる。文化財からもそうである。先日訪れた養源院の「血の天井」などから見えてくる歴史は、淀殿を中心に興味が湧く。教科書通りの歴史ではなく興味の湧くところや人物から入ると面白いだろう。どうもTVドラマの役者の印象が強いのが困るが。
キリスト教の歴史もそうだ。ここのところの「エルサレム」問題は改めてキリスト教の歴史を考えさせられる。歴史というのは、長いスパンで見ると面白いのかもしれない。見えてくるのは、人間の同じような愚かさかもしれないが、そこにある人間たる所以には学ぶこともあるだろう。
こう考えると、いままで受けた教育はなんだったのだろうか。自分が教えた教科はなんだったのだろうか。思えば、高校の歴史の授業は面白く考える授業だった。「事実」から何が見えるかという授業だった。もう一度歴史を学びなおしたい と思った。京の町へも興味が違う気がする。
京を訪れると、歴史に触れることが多い。最近は特に自分の歴史音痴にあきれる。教科書(小学校)の太文字程度しか覚えていない。高校の歴史の先生は司馬遼太郎さんのような先生で、記述の試験問題を出すような先生だったので、暗記ではなかった。大学受験は、地理で受験したので歴史は素通しした。子供たちの勉強を教えるようになっても、理系の先生が少ないので理科を教えていた。だいたい、暗記する(努力する)ことが嫌いなのだ。しかし、京の寺社を訪れると別の興味が湧いてくる。文化財からもそうである。先日訪れた養源院の「血の天井」などから見えてくる歴史は、淀殿を中心に興味が湧く。教科書通りの歴史ではなく興味の湧くところや人物から入ると面白いだろう。どうもTVドラマの役者の印象が強いのが困るが。
キリスト教の歴史もそうだ。ここのところの「エルサレム」問題は改めてキリスト教の歴史を考えさせられる。歴史というのは、長いスパンで見ると面白いのかもしれない。見えてくるのは、人間の同じような愚かさかもしれないが、そこにある人間たる所以には学ぶこともあるだろう。
こう考えると、いままで受けた教育はなんだったのだろうか。自分が教えた教科はなんだったのだろうか。思えば、高校の歴史の授業は面白く考える授業だった。「事実」から何が見えるかという授業だった。もう一度歴史を学びなおしたい と思った。京の町へも興味が違う気がする。