ぶろぐを書くのが日課となった。好きなことを毎日のようにただ書いている。実のところ、どなたが読んでくださっているのかわからない。会話の中で、ぶろぐを読んでないとわからにようなことがお話にでてくると、えっ!と一歩ひいてしまう。(やばい!)でも、このごろは開き直って書いている。なんと思われてもいいのだ、所詮、こんな人間だし、だれも身内がいないのだから困ることもないだろう。
「いのち」という冊子が完成しそうだ。呼吸をすると痛いくらいの肩のこりだが、なんとしても年内に完成したいとがんばってしまった。でも、こうしていると自分はへたの横好きでも、編集が好きなのだと思う。そこに自己表現を求めているのだろうか。
大学進学のとき、周囲は薬剤師がいいと、私は高校に入ったころは外科医になりたかった。もとは理系の人だった。それが大きく人生を間違って「演劇学」などを学んだ。その延長が、脚本を書くことだった。しかし、脚本は向いていなかった。演じるほうがよかったから、うまく文章にはできなかった。もともと理系の人、文章は上手くないのだ。ただ、自己顕示欲の強い私は、自分のダメさも宣伝したかったのだろう。こんなでいいのよ と。
今年もあと4日。予定はほぼ完了。不思議なくらいにうまくいっている。毎日、いろいろな思いが交差する。特にご病気の話はつらい。神さまにお祈りすることが、たくさんになる。できることは、祈ることとへたな文章を書くくらいだ。
「いのち」という冊子が完成しそうだ。呼吸をすると痛いくらいの肩のこりだが、なんとしても年内に完成したいとがんばってしまった。でも、こうしていると自分はへたの横好きでも、編集が好きなのだと思う。そこに自己表現を求めているのだろうか。
大学進学のとき、周囲は薬剤師がいいと、私は高校に入ったころは外科医になりたかった。もとは理系の人だった。それが大きく人生を間違って「演劇学」などを学んだ。その延長が、脚本を書くことだった。しかし、脚本は向いていなかった。演じるほうがよかったから、うまく文章にはできなかった。もともと理系の人、文章は上手くないのだ。ただ、自己顕示欲の強い私は、自分のダメさも宣伝したかったのだろう。こんなでいいのよ と。
今年もあと4日。予定はほぼ完了。不思議なくらいにうまくいっている。毎日、いろいろな思いが交差する。特にご病気の話はつらい。神さまにお祈りすることが、たくさんになる。できることは、祈ることとへたな文章を書くくらいだ。