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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

15センチからの真実

2017-12-04 20:07:05 | 日記
 わずかな時間を使って出かけた京都でした。想像よりは観光客が少なかったです。若い人の貸衣装の着物姿が多かったです。でも・・・・。

 京都の町をバスで走っているとき、初めて京都のまちが「うそっぽく」感じました。(京都は大好きですが)これは「うそ」では?血で血を洗う舞台であった京都が、なにかそんなことはありませんでした と取り澄ましている感じです。古い建物と近代的なビルが(制限をかけられながらも)立ち並ぶ市内は、その古い建物がうそっぽく見えるのです。

 歴史とは「争い」の連続である、と思いました。日本史だけでなく世界中何処の国のどの地方の歴史も血で血を洗ってきています。征服と服従の歴史です。海外ではそんな爪あとを保存しているのに。そんなことを思いながらバスに乗っていました。でも、うそを感じるのは私の心のなにかの鏡かもしれません。私は「うそ」を隠して生きているのでは? と思えるのです。隠れキリスタンのように「仏」を信じたふりをしがら「キリスト」を信じるような。あたかも自宅から来ましたのように、貸衣装の着物を着せてもらい、京の街を歩いているような。

 浜松のホテルから(16階)美しい朝日を撮ろうと思いました。窓は15センチも開かないのです。窓の中から撮ると部屋の中がレンズに写ります。窓から手を伸ばしてカメラを出してやっと撮れました。ぎりぎりで朝日が入っていました。

 本物とはそういうものなのかもしれません。私の本物は?うそっぽくない私は?

「いつも心はあなたのそばに」

 
コメント
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