今朝のフェイスブックは東京医科大学の入試問題が話題だった。海外でも信じられないことなのか、かなりニュースになっている。昔、ある国立大学の先生が、薬学部が新設されたときに、女子トイレの数が不足して間に合わず、どうするかということで、物理の問題を難しくして女子が点数をとりにくくした と話していたことを思い出した。これはまったく別問題だが。今日は、東京医科大学だけでなく、男性医師の勤務環境の問題も改善しなくては何もかわらないし、そもそも根本的な働く環境の問題だ と議論されていた。
放送大学で「欧米の社会福祉」を学んだときに、スゥエーデンの社会福祉の制度を知った。その根本にあるのは「資源が乏しいこの国で、何よりも大事なのは人である」という考えだった。そこから出発しているから、男性でも女性でも安心して働ける環境を整備している。もちろん、問題がないとは言えないのだろうが。女性の就業率が高いといっても、子育て支援や介護の仕事をする人が多い。産休や育児休暇の保障が厚いこともあるし、男性もほぼ強制的に育児休暇をとらなくてはならない。日本では、小手先だけの改革では、問題はなにも解決でないだろうし、根っこにある男性優位の世界はそう簡単に変わるものでもないだろう。
今、私は自律神経の副交感神経優位のような状態で、攻撃的ではなくなった。能力のない私だが、それでもこういうゆったりとした環境でする仕事は、評判がよかった。なぜこういう気持ちで仕事をしてこなかったのだろうか と反省している。忙しいと自分しか見えなくなる。医師もマニアルどおりにしか、クライアントを見ないで手術をし、薬を投与するようになるのではないだろうかなどと思ったりした。
涼しくなった夕方、ホームセンターへ出かけた。花火と縁台を見て、思わず、二人で浴衣がけで花火を楽しみたくなった。時間の「ゆとり」は豊かさを生む気がした。この国には、もうのんびりた時間は戻らないのだろうか。