お盆も終わろうとしている。昔、「お迎え、お迎え」といって、お盆明けの朝に、お盆の飾り物を集めに来ていた記憶がある。そうだ、今日は五山の送り火だ。一度は行ってみたいと思っているが・・・。
藤沢周平の「本所しぐれ町物語」を読み終わる。連作なので読みやすい。でも、ボケが始まったのか、この女は?この男は?と、登場する男女の名前が混乱してくる。それくらい出てくる人物が同じような間違いを繰り返す。「しょうないもの」が男と女なのか。男というものは、女房には頭が上がらず、浮気がばれれば、おめおめと家に戻り、それでもまた、浮気した女が忘れられずこそこそと出かけるようになる。藤沢周平の描く江戸時代の男も今の男達もそう差はないようだ。人生50年の頃と80年のいまではいかがなものだろうか。男はやさしい分だけいい加減なのだろうか、などと思うが・・・。
女もおろかだ。ふと、岸恵子の「わりなき恋」を思い出した。「心をぞ わりなき物と 思ひぬる 見るものからや 恋しかるべき」これは岸恵子だから絵になるが、70歳のその辺のおばさんじゃ絵にはならないだろう。男と女のことは、早く卒業するのがいい。いつまで渡辺淳一をやっていてはいけない。男と女の関係は行き着けばあとはいくら淳一さんがすばらしいと言っても所詮同じだ、と私は思う。残り少ない人生をもう無駄には使えない。いや、無駄でないと思う人もいるのかもしれないが・・・。死ぬまでなんとやらか。
50歳の頃、親友と話していた。「電気消してください、じゃもう済まないわね。ここが限界かしら。」と。あれは倉本聡の小説だったろうか。妻の白髪をある部分に見つけたときから浮気をやめたという話があった。まぁ、この辺がまともかもしれない。
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