今日もお天気に恵まれた。やはりマスクには暑い。先日蛍を見に行った三島池というところへ昼間出かけた。出かけたい京都方面にはまだ出かけられない。三島池行のバスがあったので、昼間に池を見たくて出かけて行った。夜見た時よりも何か小さい気がした。伊吹山は正面によく見える。この付近は蛍が見られるところが多いようだ。まず、池を1周してみることにした。ここは姉川の伏流水を利用して灌漑用に作られた貯水池とか。蛍を見た「蛍の川」は水が湧き上がっているところがある。
池の北東の「女滞」というところを過ぎると静かになる。これは不思議な体験なのだが、視界が開けて緑の道に出る。なにかここはすべてのことが許される気がした。そういう「開き」を感じた。(あくまで私の感覚)ここは特に多くの血が流されたところ。なにか許しのスポットがあるように感じられた。いや、この長浜や米原というところはそういう「許し」が得られる場所のような気がした。だから私は人生の最期にここに来たような・・・。ここだから許されることがあるようなそんな気がした。
このごろマスコミのレベルの低さを感じる。その昔、石田純一が「不倫は文化だ」と言った。「文化」ともおおよそ言い難く、単に「己の欲求の処理」としか言えないことが「不倫」と言われる。別に「不倫」なるものを奨めるのではなく、こんなことをまじめに議論しているマスコミがわからない。すべてのことは「個人」の問題だろう。奥さんがかわいそうだ というが無理やり婚姻届けを出さされたわけではないだろう。どんなにひどい夫でも選んだのは自分のだから。残酷な言い方だが。「生きるの、死ぬの」の不倫もある。それは時には小説にもなる。「お彼岸や妻に内緒の墓ができ」を以前ぶろぐで紹介したが、最期まで誰にも内緒で気づかれずいくことができるなら、それはもしかしたら二人の人間の「文化」なのかもしれない。許されるかどうかはわからないが。