昨日、旅行の冊子と一緒に捨てようとしてしまったのが、時遅しのマスクだった。どこから来たのかもわからないマスクだった。そんな日の夜のニュースで拉致被害者の家族の横田滋さんが天に召された。私自身も忘れていた!
神奈川に住んでいたころは、講演会に出かける機会があった。自分の娘がある日突然神隠しにあったように消えてしまい、20年以上も戻らなかったら・・・。途中で気が狂うのではないと思った。そして、戻ってきた娘の遺骨が別人のものだとしたら。わたしなら許せないを通り越しているだろう。どの場面でも奥様の気丈夫さに(決してそうでないと思うが)滋さんは助けられていた。敬虔なクリスチャンとお聞きしているが、これから先大丈夫なのだろうかと、また心が痛む。そして、同じ家族会の「親」の代で終わらせたいという飯塚繁雄さんのコメントが心に突き刺さる。「家族が元気なうちに」そのことが叶わなかった。誰も本気で責任を果たそうとしなかった気がする。
そんなニュースの翌日の今日、陶芸でつくっていた「希望の鐘」ができあがった。13センチくらいの小さいものだ。初めはがんの患者さんや家族にと思っていたが、悩みのある多くの人への「希望」へと思い直した。帰宅すると、サッカー仲間から「肺炎でもうサッカーができなくなりました」というお手紙が届いていた。81歳、まだピッチを走っていたのに・・・。どうして・・・?!
やりきれない悲しみが心にあふれた。この陶灯を彼に送ることになるなんて・・・。皆様にお見せするものではないのですが、ちょうど撮影したものがありましたので。色は3色に変わるのですが(LEDライト)悲しみのブルーでした。横田滋さんおご冥福を祈りながら。