天気予報の通り肌寒い。パーカーを1枚羽織った。お友達の会社の決算が終わった!1年に1回のこと、神経を使う。私がする決算は、これでおそらく10回目ではないだろうか。記憶と辿りながらなんとか組んできた。今日は賢くなったのか?すんなりできた。うれしかった!
昨夜、料理をしているとガスの警報が鳴った。なにかわからなかったが、どうも鍋から水が漏れてコンロを濡らしていたらしい。鍋から水が漏る??慌てて鍋をガスから下ろしてみると、確かに鍋の底の小さな穴から水が漏れている。ほうろうの片手鍋だ。この鍋は・・・。
もう25年は使っている。元義理の母が買ってくれたものだ。なぜかよく覚えている。塾の新しい教室をオープンするときに、掃除に来てくださった。その帰りに駅までお送りするときに、たしかアンデルセンのパン屋さんで、シチュー鍋とこの片手鍋を買ってくださった。私には手の出ないものだった。その光景を今もよく覚えている。どちらもよく使った。たぶん、片手鍋は1度焦がしているので、そこから穴が開いたのだろう。穴があくまで鍋を使ったのは初めてだ。引っ越しなどで処分した鍋も多いのに・・・。
この頃は、義理の母にも感謝は足りなかった。忙しいこともあり、連絡もあまりしなかった。義理の母は、心臓が弱く、喘息もあった。それでも、パソコンで点字の数学の教科書を作っていた。(高校数学がわかる人だった)いつも息子の好物をぎっしり詰めて送ってくれた。でも、私は喜ばなかった・・・。別れ話が出たころ、私にとても感謝してくれた。
でも、もしあの頃、義理の母のことを理解できていたら・・・。できなくていいとは思わないが、年が(時間が)教えてくれるものではないだろうか と思うこともある。ないもかも完璧であろうと(なくてはならないと)自分を責めるのはどうなのだろうか・・・。時をかけて、わかることも大事なような気がする。
今日も義理の母が買ってくださったエプロンをしている。とてもいいものだったが、今は花模様がわからないくらいになっている。どうしておられるのか、知ることはできない。