今日は滋賀県のNPO担当部署から電話があったので、少しだけ仕事をした。夏から秋にかけて咲く球根を植えて、2階の植木の周りをきれいにした。じゅうたんの下から「撫子を持つ若い女」というモーリス・ドニという人のポスターが出てきた。送ってくださった方は覚えているが、なんでじゅうたんの下に?巻いていたのを伸ばしたのか?巻いてあったお札はないものだろうか。
毎日つらつらと出来事などを恥ずかしくもなくぶろぐに書いている。たぶんプライドがないからだと思って少し反省をした。そんな折に、今朝のスマホの記事にタモリの生き方が出ていた。先日、タモリが76歳なのでびっくりした。いつの間に・・・という感じだ。記事は東洋経済社のもので、『プライドを持たない「タモリ思考」が必要な時』頑張りすぎな私たちに必要な「禅的生き方」とあった。最近は、NHKぶらタモリくらいしか姿を見ることはないが、いつも飄々とした感じはかわらない。どこまでも自然体だ。
記事で初めて知ったのは、タモリは小3の時に、右目を失明したということだ。早稲田を中退なのも、仲間との旅行代を立て替えて、戻ってこなくて学費が払えなかったとか。それでも「怒らないタモリ」は今も続いているという。
「“私”を消してすべてを許す力」、「今を楽しむこと」、そして、「普通であること」とその生き方をまとめてあった。最近、その3つが何となくわかるようになってきた。「私」があれば違うものには「不満」や「怒り」がでる。過去からは「反省」が出るし、未来を考えれば「不安」がでる。そして、退屈なくらい普通な毎日。確かにこれは平和だ。
すべては許せないけど、いいところまで来たような気がする。