日常に戻った。お一人さまの老後の日々から陶芸の展覧会の3日間は、やはり疲れが残る。午後から雨なので、静かに仕事をしている。午前中はエプロンおばあさんでほっとしていた。整理整頓ができていない家はどうも落ち着かない。(以前とは逆のようだ)
作品展を振り返っている。K先生は私の先生だ。(M先生がもう一人の先生)K先生の作品は、これでもかこれでもかというくらいに細かく繊細だ。前にも書いたが、素晴らしいが家に帰ってのんびりした時に見たいとは思わない。見てものんびりする感じではない。どこまでも展覧会の作品のように思う。私は、家に帰って一段落して「ああ、今日も疲れたなぁ」なんて思って、ソファーにもたれて薄暗い部屋で眺める陶灯を好む。その灯りに緊張が解けて癒される。K先生のはきらきらし過ぎてまぶしい。
M先生とどこが違うのかなぁと思った。M先生の作品はがっちりした土の塊のようだが、どこかロマンがある。手の込んだ繊細な作品もあるのだが「遊びの部分」がある。他の生徒さんの作品でも、思わず「おお、よしよし」と思わず触れたくなるようなあたたかみがある。
コロナ禍でこの「遊び」と「ロマン」が特に必要な気もする。これから作るホームページに「窯の炎」をのせるといいと言ったM先生とS君。そうだな、あの根本中堂の灯りもほっとして心が落ち着く。過去から現在そして未来へつながるロマンがそこにあるのではないか・・・。今だけを切り取ったようなものは「ロマン」がないのかもしれない。
「生きる」ということに一番必要なのは、案外「ロマン」かもしれない。