毎日着るものが難しい。今日は曇り。風は南東から吹いてきてさわやか。歩くにもちょうどいい。でも、伊吹山も琵琶湖も雲がかかっている。野菜を求めて道の駅に行くと、生産者のおばあちゃんが話しかけてくれた。ピクルスを作るつもりのラディッシュとスナップエンドウに関しての料理の仕方だ。母に出会ったようでうれしかった。
一昨日、夕方下に降りていくと大家さん宅との境目に茶色い丸いものが動いている。えっ!シンちゃんかい?目が悪いということは困ったもので、大家さんが新玉ねぎを差し入れてくれていた。差し入れてから電話しようと思ったという。シンの毛の色と似ているもんね。さて、その大きな新玉ねぎを輪切りでバターで焼いてしょうゆ味にした。これがおいしかった。ここはなにかと豊かだ。
今日は仕事が早く済んで、さて、何をしようと92歳のサッカーおじいちゃんのやりかけのベストの綴じを始めた。模様を間違ったのでやる気をなくしていた。それでも一針、一針綴じていくと不出来なものでも「いとおしく」なる。(おじいちゃんがではないですよ)ものへの「いとおしさ」を特に感じるようになったのは、陶芸を始めてからかもしれない。
洗濯物をたたむ。そんな時間が「いとおしい」。食器を洗う、野菜を刻む等々いとおしい時間がたくさんある。これが娘のシャツなら、大事な人のセーターなら・・・。そうでなくても、物に対する「いとおしさ」なのだろう。
苦労して作品を作るようになったからかもしれない。その一つ一つの作業が「いとおしい」のだ。私の宝物だから。農家の方が野菜を作る。やはりおなじなのだろうなぁ。道の駅のおばあちゃんの顔が目に浮かんだ。