昨夜10時過ぎにドアチャイムが鳴った。おばあさんはまず、電報?誰かに不幸と思う。いやいや今の時代は違う。それでも、普通のことではないだろうなぁ。出たくても出られる姿ではなく、洗面所にいた。3回チャイムを鳴らすとあきらめたらしい。郵便箱にメモもないから・・・。朝10時になっても何もない。非常識な話だから、誰かは想像がついた。想像力のない人だ。
明るい話題をと思うが・・・。世界的に有名な感染症学者が、オリンピックの開催は1年延期すべきと言っている。ウイルス学も公衆衛生学もわからないが、大阪や兵庫の状況をTVで見たいたら、オリンピックとコロナは別物なんて言えない。これは知識でなくてもわかるのではないだろうか。毎日毎日、自分の命を削るように働いている人のこと考えないのだろうか。
今日はなにかさびしい。昨夜ドアチャイムが鳴る前に親友と電話で話していた。彼女は、女性が都内のバス停で寝泊まりをしていて殴り殺された場所の近くに住んでいる。独り身で生きている親友や私は、もしかしたらわが身だったかもねと話した。ただ、二人は根性がなく諦めも早く、人に頼って生きてきた。彼女のように頑張り屋ではなかった。あきらめのよさなどが幸いしたとは口が裂けても言えない。でも、どうして誰も声をかけなかったのだろう・・・。
この田舎に来てから、私はお年寄り(私もだが)の荷物を持ってあげたり、声をかけることが多くなった。それが日常になっている。都会の人間関係の希薄さなのか・・・。でも、我が弟も私が交通事故に遭った時も連絡をくれなかったなぁ。
向田邦子のエッセイに「字のないはがき」があった。疎開する邦子さんのために、その日の様子を〇と△と×で送るように、母親が宛先を書いた葉書を沢山持たせた話だ。このぶろぐも字のある生存証明なのだ。3日以上UPされなかったら何かあったということなんだ。一人は意見の対立もなく毎日マイペースだけど、たまには人の気配の中で暮してみたいと思う。