夕暮れ時がさみしいなんて感じる暇がない日でした。珍しくパソコンがの前に坐っていました。と言っても、すぐお茶になるのですが。さびしさを感じたくないから、ばかみたいに働いていたのかもしれませんね。「さびしくちゃいけないかい?」という神父様の言葉を思い出しました。
昨日からの続きになりますが、サッカー友から「襟裳岬」のYouTubeの歌が送られてきました。
「北の町ではもう悲しみを暖炉で燃やし始めてるらしい
黙り通した年月を拾い集めて温め合おう・・・」
懐かしく思い出しました。そして、改めていい歌詞だなぁと、思いました。おそらく昔以上にその歌詞を理解できるからかもしれませんね。この頃、ひとのこころの奥深いところにじっと埋もれているものを感じるようになりました。まだ、あたためられていないものがあるような気がします。
彼のメールの最後には「悲しみや苦しみや嫌だった事を暖炉で燃やしてしまって、きっと明日はほんの少し良い日が来ることを信じてます」とありました。
そう、ほんの少しだけしかなにかは戻ってこないのです。何も期待しないで、暖炉であたためあえる仲間がいれば、それはほんの少しいい日ではないのでしょうか。