今朝は冷たい強風と雨が降っていました。新一年生の初登校なのに、残酷な日です。傘をささずレインコートで行くので大変です。新しいレーンコートが大きくて、お引きずりの子もいます。でも、みんな遅刻もしないできちんと集まれるようになりました。しっかりしてきました!
昨夜、やっと長年作っている道楽の冊子ができました。その記事の中に「記憶」の話があります。私もブログに書いた花を抱えて歩く時の気持ちのことです。私自身には誰かに花束を抱えて届けた記憶はないのです。花を抱えた時のうれしい気持ちはどこから?という話です。「記憶」に関する原稿を書いてくださったかたが、三才までの記憶は、消えてしまうのですが、たまたま消えずに残ってしまった記憶が、どこかで依存症(というまで行かなくても)のように自分の中で生きているのではないか?ということを教えてださいました。意識しなくても(記憶になくても)好きな傾向にあることというのか。
三歳のころ、私が花を摘んで、母や家の人たちに持って帰って喜んでもらえたのではないか?その後も、我が家の庭は祖父が素敵な花園のようにしていたので、それを切ってみんなに持っていったのではないか?そう思うと、私は仕事場に入っては、踊りや歌を歌ったりしておどけて見せていたとか。(母から聞いたことですが)これもいい気になってどこかに残っていて、役者になりたいなんて思ったのかもしえません。笑。自分では記憶なないことが将来の何かに残っているのでは。
花の写真をお送りくださる方は、おかあさまがお花が好きだったとか。生まれ故郷の食べ物が好きな方もどこかに味の記憶が残っていたのでは?雲や空からの写真が好きな方は子どものころ飛行機に乗るのが好きだったとか・・・。
3歳までの余分な記憶は刈り込みと言って、切り取られていくのですが、刈り込み残りがあるのですね。そう思うとなにか妙に納得いくことが多いような気がします。ただ一つ、記憶になくてもたくさんの人が大事大事に育ててくださったということです。感謝あるばかりです。