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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

経験では処理できないことには

2024-04-13 20:23:22 | 日記

遠い世界のことのようでも、心を痛めることがあります。何かによってその罪を償えて、また、その罪を許せたら・・・。それでも、「裏切り」ともいえる行為には、どれだけ多くの悲しみが伴うのでしょうか。そして、気が付いたときの後悔も。人生の罠というのか、怖いものです。

少なくとも自分が常識の範囲と考えていたことを越えたことが起こったとき、どう自分で処理していっていいのか悩みます。「なんでそんなことが起こるの?」「なんでそんなことができるの?」と。自分の考えている常識というものは、おそらく規則正しい植物の細胞の並びのようなものなのかもしれません。そこへ動物細胞のまるでアミーバ―のような細胞が出てきたら・・・。どこから手を付けたらいいのか?その細胞はさらに細分化していくようだとしたら。自分の経験値では対応できない怪物のようなものが出てきたら、困ったものです。「なぜ?」などという疑問詞は不要なのでしょうね。

複雑な思考でなく、むかし、流行った「レモンがあったらレモン水を作りなさい」的な単純な思考がいいのかもしれません。どうしようなんて思わず、目の前のものをじっと見て、自分の仕事に没頭することかもしれませんね。大谷選手がヒットを打つように。「二階に昇りたいという思いがはしごを考え出した」的に、一心に昇りたいと思うことかもしれません。

今日は長浜の町は、曳山祭りです。おはやしの音が町に流れています。この曳山は、京都のような感じではなく、むしろ江戸の祭りのように「粋」な感じです。あら!あの店の親父さん、かっこいいじゃないという感じで、いなせな若集ならぬ、おじさま集になります。笑。曳山は13基あって1基は大きな車輪の一基です。残りの12基が毎年交代で4基ずつ子ども狂言を演じます。元は秀吉が長浜城築城の際からのお祭りと言われています。いかにも秀吉らしいと思えるきらびやかなお祭りです。

狭い十字路を曲がるところ

回り切れず立ち往生でした。(5分以上かかりました)

 

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