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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

汝 姦淫するなかれ

2019-06-24 18:48:17 | 日記

朝の天気予報で東京は雨だった。うっかりしていて、西日本は入梅していなかった。梅雨の合間の晴れでなく、純粋な?晴れなのだ。そのうちに千葉県沖の地震の速報。先週の山形・新潟の震度6強の地震といい、東日本の地震が不気味だ。お友だちが「まちこさんが平塚から関西に行ったから、関東で地震があるかもしれない」と言っていた。私がそのような感がいいかららしい。と言われてあまり気持ちのいいものではない。お友だちも東日本には多い。

今日は風が強く晴れているので、伊吹山がはっきり見える。日影はとても爽やかだ。長浜の町はいたるところで水の音が聞こえる。きれいな水が町の中を流れている。今日のような日は涼しさをます。めまいがほぼなくなり頭がすっきりした。めまいは吐き気を伴うので食事もよくとれない。昨年も疲れが出てひどいめまいに苦しんだ。まえにブログに書いたが、結婚しているときには救急車を呼ぶくらいメニエールのようにひどかった。目が回るではなく、頭が回る感じだ。このときのもと夫の朝帰りはさすがにつらかった。キリスト教では『汝、姦淫するなかれ』と恐ろしく厳しい。普通の男の人なら、歩いているすてきな女性にちょっと心を動かされることもあるだろう。そう思うことでも『姦淫』と同じだという。既婚者が女性に対してもそうだし、未婚者が既婚の女性に対してもそうだ。そして、離婚した女性と結婚するのは姦淫したのと同じだという。旧約の聖書を読めば、そんな誤りが多いからだろうとも思う。

夫婦がキリスト者でうまくいっていない場合、別居結婚をしていることが多い。『離婚』できないからだ。私のように離婚してからは洗礼を受けることができる。「回心」が許されるからだ。まぁこんなことはないけれど、私は教会で結婚式を挙げることができない。そんなキリスト者たちも人として悩む。「わかっているんですけど、別れることはできないんですよね。そうするほうが不誠実なようで」と悩む男性がいた。

親友が言っていた。結婚式の誓いのことばで「一生愛しますか? はい。なんていまは言えるけど、どこで変わるかわからないわ。誓えないわよね」が正直な答えだと言う。(彼女はキリスト者ではない)「そう努力します」でいいんじゃないかな。「あいは努力でむくわれるものでもないし・・・報いを求めてもいけないだろうし」

 

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すてられないもの

2019-06-23 18:24:07 | 日記

長浜は晴れた日が多く梅雨という感じではない。なんとなく身体がふわふわするので今日も掃除以外はしないで身体を休めようと思った。とはいえ、掃除はしばらくお休みしていたのでたいへんだ。こうして休んでみると、仕事に追われていたのだなぁと思う。個人的には自宅の売買があった。姉頼みの弟は「いいよ、それで頼むよ」で終了だった。ああ、兄貴がほしい。

掃除をしながら書類の片付けもしなくてはならなかった。ともかく整理整頓は得意ではない。NPOの書類は増える一方、長浜の個人の書類も増えてくる。引越し以来そのままの書類もなんとか整理しないと。母の入院や葬儀の書類などもそのままだ。どうしたもんじゃろな となる。一気に明日でもやるしかにない。まずは母のものの整理だろう。でも、童女のように笑っている母の写真はまだとっておくだろうな。

捨てられないものはそのままにしておこうと思う。最後はだれかに処分してもらうしかない。「なんでこんなものをとっておいたのでしょうね」と言われるかもしれないが、大事なものは大事なのだ。だれもがそんなものをもっているのではないだろうか。理由は本人しか知らない大事なものだろう。もと夫は一緒に住んでいた住まいから別居するので荷物を出すとき、自分のものだけを見事に選んで出た。(本など)あとは「ぼくは要らない」でおいていった。2つあるものはいいほうを、不足している掃除機などは揃えておいた。そのときは、自分でなんとかするという力が夫にはなかったのだろう。最後に照れるように「これもらっていこう」と少し残っていたウイスキーを持っていった。荷物を出し終えてからその場にいてくれた母が「まっちゃん、別れてよかったわよ。あんなウイスキーもっていく人となんて」と強がるように言った。

なにかさびしいお話になった。こうして休んでいると(仕事をしないでいると)大事なものが見えてくる。のんびりしなくてはいけないと思う。ここの生活が一番大事だ。さぁ、夕飯の仕度でもしよう。

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たまてばこはひらかない

2019-06-22 18:55:14 | 日記

今日は身体のためにゆっくり休もうと決めた。朝も無理をして?寝ていた。洗濯だけをしてあとはのんびりしようと思った。長年働き続けた身には「休む」ということが難しいが、めまいが再発すると恐いのでお昼頃から昨日ぶろぐに書いた梅花藻の咲いている地蔵川へ出かけるだけにした。ここのパン屋さんの食パンがおいしいので買ってくるのと養鱒場へいこうと思った。昼ごろはもう暑くなっていた。養鱒場へは4キロなので、今回は無理をしないことにした。

あの梅花藻のように清い水に浮いていたい。5月中旬からのスケジュールで身体も疲れていた。それに反して心は様々なことを感じる。叔母との再会、鎌倉のおばあちゃんとの会話、親友との会話、そして、昨夜のドラマ『ミストレス』の会話。叔母は「お付き合いした人はみな亡くなってしまった。あそこにみんないるの」と小さな仏壇をさしていう。鎌倉のおばあちゃまは「60を過ぎてからは自分から関係を切るようなことはしなかったわ」という。親友は「アルバムはだいぶ捨てたけど、思い出はなくならないわ」という。ドラマは美しい出発と別れの場面があった。

あの人は夢中で過ごしたといえ、さぞつらかっただろう。どうやって独りの空間を過ごしたのだろう。自分のことよりもそんなことを思う。うつくしい仏のまなざしが癒してくれたのだろうか。菩薩のまなざしに会いに行きたくなった。

少し身体が熱っぽくだるい。胃も疲れているので、おそうめんでもゆでようか。でも、この家に来てよかった。夕方の涼しい風がここちよい。人を想うしあわせはこんなことなのだろうとかみ締めている。

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水の流れにまかせて

2019-06-21 21:35:32 | 日記

小田原から新幹線で帰路につく。からだが重く少しきつかった。新幹線がいそがなくては急がなくてはと走っているようだ。なにか切ない。

昨日実家の最後の荷物を出してきた.いい思い出が少ない地域だがそれでも母がいてくれたことが支えだった。悔いは多いが、母と過ごせた思い出があることを大事にしていこうと思う。何事もそうだろうなと 思う。いい部分だけを大事に生きていければいいと。

無事家に着くことができた。朝、軽いめまいがあったので心配だった。植えていった花もいまのところ無事なようだ。2日間おいしいものを食べすぎたのか胃がびっくりしたようだ。そんな日があることもありがたい。来週からは少しのんびりできそうだ。料理に挑戦してみよう。

昨日一緒だった親友のY子さんは、長浜に越してからの私の暮らしぶりを喜んでくれた。忙しい部分もあるが、自分したいことを確実にしていっていると。昨日のFBに『結論の無いインタビュー』とかで、カメラマンやモデル、ジャーナリストでヨーロッパとアメリカを舞台に暮らしてきた男性の話があった。いい時ばかりはなく、野宿をしたり、ニューヨークのぼろぼろのアパートで暮らしたという。ただ、食べることだけはきちんとしていたという。「食べることは生きることの基本だ」という。その彼が「自分は何も手にすることは(物質的なもの)なかったがなによりも『FREE』を手にしていた」といってインタビューが終わっていた。Y子さんと私も『FREE』だけは手にして生きた気がする。「ここから老後は悠々自適よね」と彼女は言う。独り者だから言える強がりだが。

写真は梅花藻。清らかな流れにまかせて浮いている。

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あいたかった人に

2019-06-20 21:29:17 | 日記

NPOの仕事を離れて会いたい人に会いに出かけることができた❗母の妹R子さんに12年ぶりくらいに会えた。小さい頃から姉のように慕っていた。祖母のことでもめてから母とR子さんはお付き合いを断った。その影響で私も会えなくなった。ブログに書いたが、叔母から母の一周忌に電話があった。気持ちの整理がついたという。

子供のころから似ていたが、お互いに年をとってさらに似てきたのでなんとも奇妙な感じだった。7年後の自分はあんな感じなのだと思った。叔母がいろいろ話をしてくれた。今まで点の集まりだった叔母の人生が線になった❗硬いイメージだった叔母がなんとも激しい生き方をしていた。私の知らなかったこいの話もドラマチックだった。

びっくりしたのは、叔母がガンバ大阪のサポーターだった。息子の影響だそうだが、応援席で90分、旗を振ったり飛んだり跳ねたりしているそうだ。大阪までも応援に行くという。まさか叔母からサッカーの話を聞くなんて❗

私が叔母に似ているのだろう。何か自分の罪がすこーしだけ軽くなった気がした。ずるいかな?思いきって会いに行ってよかった?何かあれば、少しは今までの恩返しができそうだ。

叔母は母にも似てきた。それもうれしい。母も喜んいるだろう🎵

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