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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

Happy Christomas

2019-12-25 19:58:47 | 日記

家のこと以外は全部終わった!これから掃除や大物の洗濯と料理だ。もちろん、仕事は残っているが、とりあえず一息。でも、やはり、肋骨が折れたのか段々痛んだくる。重いものは持てないかもしれない。教会のお姉さまたちが、それは整形に行っても固定して静かにするしかないから、さらしでも巻きなさい とアドバイス。この姉さまが増えたのがいい。「もうね、海外旅行は75歳までだからね。人さまに迷惑をかけてしまうのでだめなのよ」とか、「年金がでたら、今度はRホテルで食事しような」などと声もかけてくれる。長女で、組織でどうしても人を引っ張っていかなくてはならなかったから甘えることができなかったが、神様はちゃんと年を取ったら、面倒を見てくれる人をお与えくださった。頼みますよ。

でも、ちとさびしいクリスマスだった。(深刻ではない)昨夜のミサの帰り、やはり一人暮らしが「今日はね、クリスマスケーキが食べたかったのよね。丸いやつで小さいのないのかしら。一人暮らしが増えているのに・・・」「やはりそう思った。ショートケーキじゃダメなのよね。クリスマスの丸いケーキよね。私もそう思って買って半分にしようかと思ったの・・・」きっと子供のころの、あのバタークリームのケーキの残像があるのだろう。そう思うと、デパートへ行ったので、ケーキを見てみたが、丸い小さい一人にいいようなのはなかった。いいおばあさんが悩むことではないが、きっとそれだけハッピーなのだろう。

教会の神父様も「できないことや困ったことがあるときは手を挙げるのですよ、教会は共同体ですから、みんなで支えあいましょう」 と。年を取ると気も弱くなる。(えっ!ほんと?)だから、支えてくれる人がいることが一番幸せだ!!ああ、しあわせだなぁ~。でも、やっぱり丸いケーキが食べたい。

天使たちの写真です。このあと本番では輪をつけて天使になりました。かわいかった!

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つよいということは?

2019-12-24 15:10:35 | 日記

クリスマイブ。朝の食事の食器がさっきまで台所にあった。夜はミサに出かける。予定では午後は買い物やら用事をたすのに早めに出かけるつもりだった。「いのち」という冊子の編集が遅れに遅れている。何とかしなくては原稿をいただいた方に申しわかないと朝からパソコンの前にいる。そうだ、お世話になった長浜の不動産屋さんへ挨拶にいってない。でも、それは木曜日にしよう。「いのち」はあと校正だけになった。一息ついている。疲れているのかクリスマスのケーキが食べたい。叶匠寿庵においしそうなケーキがあったなぁ。でも、一つは買えないなぁ。

日曜日のミサで神父様が「あなたは誰の子ですか?」と尋ねた。キリスト者は「神の子です」と答える。「人間は弱いものですとあなたはいつも逃げていませんか?」とも言われた。そうです!人間は弱いものだと自分を甘やかしてきていた。「あなたは神の子ですから、弱くはないはずですね」と神父様。「では、強いということはどういうことでしょうか?」「神の子、イエスはどのように生きましたか?強い生き方ですよね」と神父様。

「強い生き方は?」そう、「許して生きること」だと思った。強いから許せる。もしかして、私は強かった?声を荒らげず、怒ることもなく黙って耐えたことのほうが多い。普通の人なら裁判になるわよ と許したこともあった。そういう意味では、よく耐え、許してきた。50代で心理学を学んでからは、特に相手の成育過程(環境)などを考えて、「そういうことで仕方ないのかな」などを思うようになった。「えっ!それで相手になにもいわなかったの?!」言われることもあった。

鍛えられてきたともいえるこの何十年間、よかったと思える。しこりのように心に残るものがなく、ただの思い出になることは。そして、感謝できることは。さあ、あと一息、校正をがんばろう。そして、クリスマスイブのミサのキャンドルを楽しみに出かけよう。

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お砂遊びが陶芸へ?!

2019-12-23 18:13:25 | 日記

昼寝(3時ごろ寝る)が2日間続いた。炬燵で30分と決めて?寝ている。要するに夜まで体力が持たないのだ。ああ、こんな風に忙しいのだろうな と思って私もがんばっているが、掃除中にたぶん食器棚の戸にぶつけた左の肋骨?が痛む。打撲か?骨折か?4日間続くが、骨折ではないだろう。ほんとうに情けない。でも、終わったのだ!気になっていた世間の義理が。一息つかないうちに、お友達が年末年始仕事になった。食料供給係になる。お正月用は送るつもりだったが、年末用が増えた。まぁ、できるということはうれしいことだ。

陶芸の作品は2月ごろに焼くそうだ。まだ、時間がある。同じ作品を5個は作ろうと思う。それでもきちんとできるかどうかはわからない。お皿にしても、ほかの作品にしてもカップを作るのが基本だ。陶灯はカップを逆さにして穴をあけていけばいいという。陶灯までは程遠い。時間をかけて習うことをしだしたのは、お茶のお点前からだ。「完成度」が大事だと思った。もう、先を急ぐ必要はない、お薄のお点前だけでもいいと思った。陶芸もそうだ。茶碗だけでもいいと思う。

つまらない話だが、FBで6択くらいの質問で性格を判断するお遊びがでてくる。これが意外とあたるので、暇つぶしにやることがある。先日は、あなたは食事で嫌いなものがでたらどうしますか?だった。無理して食べる、だれかにあげる、とかで私はそなまま皿に残すだった。これがおかしいのだが、浮気度のテストで、全部残すは浮気度0%だった。(おかしいやろ)説明には納得したが、年をとってエネルギーが減ったのか?これ!というものに一途に生きるのか?まぁ、それはあたりーだ。

80歳でゲームのソフトを作った女性もいた。今から始めて(80歳まで生きられれば)陶芸も形になるかもしれない。それは自分の手の感触だ。目でも耳でもない、この手の感触だ。

年末の街の和菓子屋さんにお餅が出ていた。ああ、都会とは違う。なんとなく丸餅を作ってみたくなる。(笑い)そういえば、お友達の家の餅つき大会で餅を形にするのは毎年私と歯医者さんだった。子供のころもお砂場遊びで、1時間以上砂団子などを作って子守の祖父母を困らせたと聞いた。そういう要素がやっと花開いたのか・・・(おかしいねー)

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スカーレットを越えて えっ!

2019-12-22 19:55:47 | 日記

早起きして教会へ。それから陶芸教室へ直行。(5分)昨日の疲れが残っている。教会は今、待降節といい、主が誕生されるのを待つ時期。12/24が降誕祭の前夜のミサ、25日が降誕ミサになる。初めて両方に出られる。いつも何か用事があって出られなかった。というよりは教会優先にしなかったのだろう。食べることに必死の時もあった。出られるのはお友達ができたことも大きい。

陶芸教室は先週の作品と同じものを作る。手順はわかったが、同じような癖がでて、腹ぼての器になる。今回の作品は寸胴ではなくきれいに上に広がっているものだ。むずかしい!これは私では直せそうにないとみると、先生が直してくれる。でも、できることも増え、手早くできた。TVドラマのようにはできない。特に中側は、あとで直せないので毎回きれいにしていく。完璧を目指すしつこい性格も必要のようだ。そこそこにきれいにできた。次に初めて作った抹茶茶碗のようなものをやすりで磨いていく。これもTVなどと違い一番根気のいる作業だ。「これでいいでしょうか?」「自分でいいと思うなら」という先生との会話。ほかの生徒さんに「だんだん仕事になってきたね。そうでなくて、作品を仕上げるんだよ」と先生。どれだけ自分の作品に「愛情」を持てるかだという。

わずか1か月だが、「まあいいや」の作業はほかのことでも少なくなった。忙しいなかでも、「愛情」を込めて取り組んだ。自分でよくできたというのは、NPO法人として出すクリスマスカードに、長浜で集めた落ち葉を貼り付けたことだ。150通は越えていただろう。出かけるたびにきれいな落ち葉を集めて、本の間に挟んで押し葉を作った。カードに張るのも難しかった。でも、その気持つは伝わったようだ。仕事は早かったが、やや雑だった。それが変わってきた。

まったく脈絡のないことだが、法皇様のミサを授かった、冬ソナをばかみたいに観た、そこで自分の住むあたたかい家を見つけて住むことができた、陶芸教室で作品を丁寧に仕上げた、そんなことが私の「愛情」を育ててくれたのではないだろうか。住む家の「あたたかさ」は大きい。クリスマスの料理は非公開ですが(偉そうに失礼)小さなクリスマスツリーです。傾きがいいでしょ。大きくなったらどうしよう?!

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クリスマスの思い出

2019-12-21 19:27:02 | 日記

のどが渇いてお茶を飲みたいと思ったのが、夕方の6時だった。ともかく16時までにしなくてはならないと朝から頭も体もフル回転だった。16時は郵便局の本局が閉まる時間だと思っていたら、土曜日は20時までだった。いつも土曜日に行くといる窓口の親切なお兄さんに「よく土曜に来られるから覚えていてくださいね」と言われた。つまらない?ことは覚えていた。今日は、元夫の誕生日だ。去年のブログにも同じことが書かれていた。進歩しない女だ。

クリスマスも近い。今年は教会に行けるのでうれしい。昔はクリスマスはプレゼントや食事やらで若い人たちは楽しんだ。(私も若かったのよ)まだ、スマホもない時代だから写真はないが、よく覚えているクリスマスもある。今の人たちよりもロマンチックだったようにも思える。効率とかを考えずに無駄もOKの時代だったのだろうか。(私がそうだったのか)前にもブログに書いたが、祖父がもみの木を買ってきた。それは不思議なことで、家族や働いていた人たちが首を傾げた。おおよそ、クリスマスとは無縁の感じの祖父だった。もちろん、飾りも買ってくれた。立派な植木鉢のもみの木は素敵だった。いまのよく覚えている。確かに、祖父は、夏には虫やら金魚や花火を買ってくれた。ほうずき市も行っていた。そういう面ではぜいたくで道楽な人だった。でも、クリスマスのもみの木は意外だった。雪の降った日に、もみの木に雪が積もってうれしかったのも覚えている。「無駄」は遺伝なんだろう。クリスマスの飾りをして、料理を作って、1日過ごした。時間もお金も無駄だ。

子育てをしたかったなぁ と思う。かわいい手袋や靴下も編めたのに・・・。夫のために内緒でセーターも編めたのに・・・。大事に育てられたのに、なぜ私は家庭を築けなかったのだろうか。親友のYちゃんが言った。「ボタンをかけちがったのよ」と。そう2度もかけちがったのだ。人生で人は同じ間違いをするんだね。ちょっと落ち込んだクリスマスの準備だった。

 

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