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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

紫香楽のたぬき はあかん

2019-12-10 18:46:04 | 日記

晴れていれば、長浜は夕方は空が赤く染まる。まぶしいくらいの夕日だ。1年前、夕日が明日への希望のように思えたのだろうか。スーパーにもおせちの食材やらが出ている。どうも、クリスマスが終わらないと、おせちにはなりそうにないし、和風よりも洋風おせちにしようか などと思っている。「もう、おせちはいいよ、食べ飽きたから、お肉が食べたい」と母が言ったのがわかるような気もする。

今日は我が家はお菓子屋さんで、年末のご挨拶用にクッキーやらを焼いた。年金生活になると、お歳暮とするのは大変なので、お菓子を作って送っている。今年もお世話になった方たちが多い。サラリーマンは退職すると減るのはお歳暮と年賀状とか言っていた。昔、お友達に家が小児科だったので、8畳の部屋に山のようにお歳暮が積んであった。うちはお歳暮はあまりこなかったが、働いていた女の子たちの実家から柿やらリンゴやらが届いた。(おがくずの入った木のリンゴ箱だった)あとは、叔父が祖父にゴマをすりに、新巻き鮭やらをもってきた。私には当時の流行りの人形やらを買ってきた。浅草のおじいちゃんという人がきれいな羽子板を毎年もってきてくれてもいた。叔母がお正月用のセーターを編んでくれた。あほな長女はそんな風に大事にされてクリスマスと年末を過ごした。お金のあるうちではなかったが、商売をしていたので、なんとなく豊かに思えた。

ふと思いだした。紫香楽が近いので、この辺の家には狸の置物がたくさんある。どうもわたしは好きになれない。かわいいというが??なのだ。狸がきらいなのか?うちの庭に狸の置物があった。イチジクの木の横のほうにしょぼんとあった。ここはなぜか金魚や鳥や猫のお墓になっていた。祖母がそうしたらしい。そのタヌキはかわいかった。紫香楽の狸とは違う。そんな悲しいところなのに・・・。

夕方はさびしいと思っていた。夕日の入る部屋はつらい思い出が多い。夕日が「希望」に思えるようになった。こんな夕日が入る部屋であの世に召されたら、、、。だれか狸の置物を墓石代わりにしてくれるかな。

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ええやん と あかん

2019-12-09 18:30:43 | 日記

朝の室内の気温が10度以下になった。湘南のマンションでは冬でも14度くらいで10度以下になることはなかった。さむいわ。久しぶりに昨夜は2時間半の「冬ソナ」にはまった。ブログに「ポラリス」と書いて思い出した。私が「ポラリス」を使うのは「冬ソナ」からきている。道に迷ったときは「ポラリス」を見つけてそれを頼りに方向を決めて進めばいい という話からだ。ユジンさんは自分のオフィスを「ポラリス」とした。オリジナル版とあったが、ダイジェスト版だ。ストーリを知っているわかるが、これだけ見たらとんちんかんだろう。でもさすがに、いいシーンだけは押さえている。2時間半、ストーリーを思い出しながら見ていた。懐かしいセリフがあった。

「結婚したら、ユジンさんはどんな家に住みたいのですが?」「考えたことないです。本当に好きだったらそういうのは重要じゃないです。形としてはどうでもいいんです。好きな人の心の中が一番素敵な家だと思います」(だったかな?)「私ミニヨンさんには謝りませんから、ミニヨンさんは、私の一番大事なものを持っていったから。私の心をもっていったから」(これは使った気もする)この年になっても、こんなセリフを惹かれるのは青くておかしいのだろう。まだまだ、心に残るセリフある。

今見ると、だれもがその人なりに、真剣にひとを愛しているのだ。そう思えるようになった。相手を奪い取るために卑怯な手段をとるとしても、それはやはり一つのあいの形だろうし、チュンさんのお母さんなんて一番すごいエゴのあいだ。

最近、言葉が関西弁と混じっていると書いたが、友達が「あかん!あかん!はいいわ。ほら、朝ドラもね。だめ!というより空間があるわ。グレーゾーンというのか」いい、悪いは返事でもしなくてはならないことが多いので、すぐに「ええわ」と「あかん」はうつった。恋愛なんて「あかん」が多い。「あかん」がなかったら、小説もドラマもできない。「あかん」けどいくんやろうな。久しぶりに冬ソナをみて、こういう正直なドラマはええなぁ と思った。

キリスト教の「告解」といって司祭に「罪の告白」をする時期になりました。毎日、神様の心に背くようなことはあります。では、何が「罪」なのか?むずかしいなぁ と思うのです。キリスト者としてはまだ7年しか経っていませんが、「それでも、許すのです」というシスターの言葉を思い出します。

時に神の愛は「あかん」のほうが合っているいる気がする。自分の心に素直に生きるほうが人としては「ええやん」ではないだろうか。ただし、真剣にね。(何回もの引っ越しに耐えた?火鉢がやっと登場)

 

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1年前と15年前

2019-12-08 19:45:43 | 日記

横浜マリノスが15年ぶりに優勝した。最近の選手がわからないので、あまり応援はしていなかった。それでも、やはりマリノスファンで、中澤さんファンだった私にはうれしい優勝だ。マリノスタウンがなくなり、グラウンドがなくなって、毎日お寺の鐘のように「ゴーン」「ゴーン」のニュースが流れたいた。スポンサーが大きくて安泰のチームは強くならないらしい という話を聞いた。そうかもしれない。

友達がサッカー関係の仕事を始めたのが15年前。その初めての契約がマリノスだった。私自身もまだ不安定な時に、友達の会社の立ち上げは大変だった。どこもしていないような仕事なので、パソコン音痴の二人がああでもない、こうでもないと考えた。15年か!5,6年は大変だった。私は会社に勤めていたので、ダブルワークどころかトリプルワークだった。

昨日のぶろぐで、生まれた千駄木の家のあたりを見にその友達と出かけたことが書かれていた。その時に彼女に「長浜」に引っ越すことを話した。姉妹のように仕事もプライベートもやってきたので、この決断を告げるのはつらかった。「琵琶湖に沈む真っ赤で大きな夕日を見て決めたの」という理由を彼女はわかってくれた。もちろん、「すぐまた帰ってくるわよ」と悔しそうに言っていたが。その時、住まいはまだ決まっていなかった気がする。翌週に長浜に住まいを見に行った。あれから1年・・・。

「まちこさん、休むようになったもんね」と昨日の電話で彼女は言った。そう、仕事を放り出してでも行きたいところがここは多すぎる。特にこの秋は、毎日がそんな日だ。幸せだ と思う。でも、今思うとよく決断した。ポラリスか・・・。それしか見ていなかったので迷わなった。これからもそうだろう。

「古矢さん」と声がした。あれ、大家さんからだ。境の囲いの下から「葉ボタン」の鉢植えが届いた。庭にたくさん植えてある葉ボタンを、褒めたからだろう。うれしかった!あれから15年、そして1年。幸せに向かって歩いているようだ。

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どの人生も尊く思えて

2019-12-07 20:06:08 | 日記

毎日がサンデー毎日なのだが、今日は土曜日だ寝ていられる となる。その次は、何十年早起きして働いたのだから、もうのんびりでいいのだ と自分に言い聞かす。なんともかなしい性だ。今日は雨が降っていない。うれしい。朝、10時ごろ電話が鳴る。???さて、サッカーのおじいちゃんか?セールスか?固定電話はあまりかかってこないので考える。「もしもし・・」おじいちゃんの声だが、聞き覚えなない。「おはようございます。昨日いらしていただいた陶芸教室のOです」(あらあらあら、どうしましょう)先生からお電話をいただいてしまった。「お疲れになりませんでしたか?」そうなのです、よるになると疲れがでたのです。ああ、こういう風に対応をしたことはなかったなぁ と感心する。

周りに配慮のある大人の方が多い。勉強になることばかりだ。相手とは喧嘩こそしないが、おなかの中で「まったく、いやになるわ」と思うことがある。「なんて、小さな気持ちの男なんだ」なんて。そう思う自分に今度は嫌気がさす。(傲慢だと)「昔、馬鹿らしいと思っていた映画が面白くて全部見てしまいましたよ」とメールがきた。若いころは、みな心では見たいと思っても「青春映画なんて」とか言って知らんふりをしていた。なんでもすぐには受け入れなかった。それがいいと思っていた。今の若い人はそうではないのだろうが。

改めて見たい映画も読んでみたい本も増えた。おもしろさを素直に認められるようになった。そうなったときに感じた。みんな(同世代の人は特に)一生懸命に生きてきたんだよな、そのなかで身についてしまったこともあるのだろう、私がそうだあるように。そう思うと、腹が立つのは1日で終わるようになった。生き抜く ということはそういうことなのだろうから、どの人の人生も同じように尊いと。

「あせらずにゆっくり楽しんで通ってください」とO先生は言われた。見抜かれているなぁ。人よりも早くと頑張ってしまう性格を。今日は初めてというくらいラーメンを丁寧に作った。たかがラーメン、されどラーメンと頑張る私がいた。でも、おいしかった。

 

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冬ソナ 二人の間で揺れる

2019-12-06 17:41:59 | 日記

外に出ると手が冷たい。手袋をもってきてよかった。手を見るとやたらときれいで白い。??そうか、土がごみを吸い取ってくれたのか!偶然だっが、今日朝ドラでは、主人公が初めて手ろくろで陶器を作り出した。私も陶芸教室に通いだした。癒しの灯篭というタイトルが気に入った。先生は元は美容師さんだ。陶芸を始めて35年になるという。小さなお教室だ。同じくらいの年のおじさまと一緒に始める。何にでも応用できるというカップから作り出しした。先生がかなり手を入れてくれた。これは実に難しい。でも、おもしろい!

長浜市にも冬ソナの舞台になるような並木があるという。ああ、冬ソナにはまったときがあったなぁ。親友のYちゃんはバスタオルを持ってみていたという。「ユジンさんのように素直に揺れもよかったのよね。責める必要も選ぶ必要もなかったのよね。その悔いで泣いてるんだと思う」という。前にも書いたが、うちには幸せの空色のコートといって弟が私に縫ってくらたコートがある。ユジンさんが最後の場面で、チュンさんに会えるシーンで着ていたコートに似せて作ってもらった。きっと私はそういうシーンを期待して生きているのかもしれない。二人の男性の間で揺れることはなかったなぁ。強引な方に引っ張られただけだろう。

Yちゃんが電話で言った。「ほかの条件は同じで、イケメンであまりお金のない人とお金持ちで中の下くらいのルックスの人ならどちらを選ぶ?」それは変な質問だけど・・・そうねイケメンのほうね。イケメンなら見ているだけで癒されるじゃない。「真知子さん、お金じゃなかったの?」「お金は稼ぎにけばいいじゃない」「それなら、前と同じじゃない!」

永遠の非扶養家族か!今日、ご主人は?と聞かれた。「いないんですよ」しばらく沈黙して「ああ、じゃぁ天国か地獄にいらっしゃるのですね」「ええ、たぶん天国に」「天国は酒もうまくて美人がたくさんいるそうですよ」ああ、生きている人を殺してしまった。でも、イケメンかお金持ちか??どちらも縁がないなぁ。おおーさむ。

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