のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

やる気満々

2005年07月27日 23時56分20秒 | 日常生活
8月末に高校時代の恩師と会社の先輩方と
飲みに行く約束をしています。
縁は数奇なるかな。

なんと高校時代の恩師が教師になって
初めて受け持った生徒が隣の課の課長。
そして、恩師の幼馴染が同じ課の上司なのです。

というわけで、久しぶりに飲もう!
という話になりました。
とは言っても、皆様お忙しいので
なかなか日程があいません。

ええい!面倒だ!
とりあえず、行ける日を教えてくださーい!
とメールを出したところ、元気な先輩から
こんなメールが到着しました。

「27日(土)から30日(火)なら
 いつでも大丈夫です。28日は昼間は無理ですが
 27日なら昼から全開で飲みに行けます!」

・・・センパイ。
ワタクシの体力が持ちそうにありません。
夕方からでもいいですか?

どんな元気な飲み会になるのやら。
楽しみでございます。

風を継ぐもの

2005年07月27日 23時45分42秒 | 舞台(キャラメルボックス)
元治元年5月、京都壬生村の新選組屯所に現れた二人の男、
立川迅助と小金井兵庫。二人は沖田総司が率いる一番隊に
配属される。間もなく、池田屋騒動が勃発し…。
幕末の京都を駆け抜けた男たちの物語。

見終わった後、とにかく涙、涙。ひたすら涙。
なぜこんなに悲しいのか、
胸にこみあげてくるこの塊の原因は何か、
そんなことはどうでもいい。

理由なんか分かるかー!
胸に訴えかけてくるんじゃー!
というかんじ。

勿論、その正体はじっくり考えると、
分かってくるけれど。

登場人物ひとりひとりがみな、自分の信念に
基づいて生きている。ただし、迷いはある。
自分の信念と、それに付随する迷いに体当たりで
ぶつかっていき、悩みながら毎日を精一杯
生きる人たちの姿に胸が熱くなるのだろう。

「生きててよかったな。」
ラスト近くのこの言葉は、新撰組の隊員が
ほとんどなくなってしまったことを考えると
本当に胸に染み入る言葉となる。

「走り続けてた。」
こう言える人生を送っている人が
今、どのくらいいるのだろう。
少なくとも、私は走り続けてるとはいえない。
熱くまっすぐに生きる彼らの姿に感動する
一番の原因は、これかもしれない。

ああ言えばこう行く

2005年07月27日 23時44分54秒 | 読書歴
抱腹絶倒エッセイの第二弾。
前作よりも磨きがかかった感のあるお互いの悪口に
思わず噴出してしまうこと請け合いである。

「旅」をテーマにしているものの
どうしてもお互いの奇妙な言動から目が離せず
訪れた場所よりも、環境が変わるたびに新たに
発見してしまうお互いの行動をつぶさに書き綴るふたり。

こんなに罵倒しあっても、笑うことができるのは
根底に友情が存在していることも勿論だが
それぞれが自分自身の失敗も包み隠さず
さらけ出し、自分自身への突込みも怠らないからだろう。
むしろ、お互いに失敗の大きさを
競い合っているような気がしないでもない。

少々の失敗がどうしたって言うのよ?
私はこんな失敗しても
笑い飛ばせるわよ!

彼女たちなら落ち込んでいるとき、
こんなふうに笑い飛ばしてくれそうな気がする。
女性が元気な時代といわれて久しいが、
私もこんなふうに元気に明るく
世の中も自分の不幸も笑い飛ばせるような
素敵な年の重ね方をしたい。

リトル・バイ・リトル / 島本理生

2005年07月27日 23時36分41秒 | 読書歴
まず印象的なのが表紙の写真。
愛らしい子供の無垢な横顔と
背景に広がる白い空間に
吸い込まれそうになる。
まるで写真集の中の一枚のような
表紙に惹かれて、思わず手に取った。

作品名を直訳すると「少しずつ」。
効率化の名の下に進む大量生産・大量消費、
そしてスピード化社会に逆らうように
主人公ふみさんは、日々をゆっくりと過ごす。

バイトも受験勉強も日常生活も
そして恋愛でさえも
ふみさんはふみさんのペースで
少しずつ少しずつ進めていく。

ただひとつ。
父親との思い出のみ、
捨てることも忘れることも
あきらめることもできずに
自分の中に冷凍保存したまま。

大事なことほど、自分の中で考え込んでしまう
ふみさんは、父親との思い出を振り返るときでさえも
彼を冷静に捉えようとしていて
それが逆に、彼によって傷つけられた
心の傷の深さを感じさせる。

奔放に生きているようで、
そんなふみさんを温かく見守っている母親や
ふみさんに惹かれて、心の中で考えていることを
口に出してほしいと願う周、
周とふみさんを明るくさばさばと応援する周の姉。

周囲の人たちの応援や愛情や好意によって
状況は何も変わらないにも関わらず
ふみさんは少しずつ少しずつ
父親との思い出を自分の中で浄化させていく。

人はこんなふうにつらいことを
忘れていってるんだろうなぁ、と
素直に共感できた。

状況は何も変わらない。
傷つけた人が謝ってくれるわけでも
償ってくれるわけでもない。
それでも、その人とは関係なく
起こる日常のささやかな幸せを
原動力に人は立ち直っていくのだろう。