■ストーリ
第二次大戦下、教会の幼友達修平と、本当の恋をし、
本当の人生を生きたサチ子の一生。
■感想 ☆☆☆*
長崎に旅行した際、遠藤周作記念館とド・ロ深部記念館を訪れ
遠藤周作さんの作品に興味を持った。おおまかなあらすじは
知っていたり、映画化された作品を見たりはしているが
実際に作品を読むのは初めてである。
しばらく読み続けそうな予感。
物語は第二次世界大戦を背景に、幼い頃主人公サチ子が出会い
「人、その友のために死す。それより大いなる愛はなし」
という言葉の書かれたしおりをいただいたコルベ神父のその後と
サチ子と幼馴染修平との悲恋が交互に繰り広げられる。
ふたつのストーリーを結びつけるのが前述の言葉
「人、その友のために死す。それより大いなる愛はなし」である。
戦時中、クリスチャンが感じたはずのキリスト教の教えと
国が強要する思想との矛盾。自分にはどうにもならない流れの中
敵国を憎むこと、人を殺すことを正義と教える教育に対する葛藤と
その国の思想に表面上だけでも従わなければ生きていられなかった
信者たちの悩み、苦しみ。教会も牧師も神父も迷い、傷つき
苦しんでいたことが伝わってくる。
一方、長崎で布教活動をしていたコルベ神父はポーランドに帰り
アウシュビッツに連行される。この時代に誰もが感じたであろう
「神なんているのか」「神はこの戦争を許しているのか」
という否定的な疑問を一心に受け止め、友のために祈り
友のために悲しみ、友のために犠牲になったコルベ神父。
修平が回答を見つけられずに抱え込み、苦しんでいた悩みに
図らずも異なる場所で同じ回答にたどり着くコルベ神父とサチ子。
彼らはただひたすらに祈る。
サチコは修平のために。神父は苦しんでいる友のために。
おそらくこの時代、多くの日本人が「自分のため」ではなく
「周囲のため」「お国のため」「故郷のため」に生きた。
そう考えなければ、できないようなことを強いられていた。
ラスト、原爆投下時の長崎から戦後30年後の東京に
時代は飛ぶ。描写されなかった原爆投下直後の長崎と
家族にも原爆について語らないサチ子の姿で
その悲しみの大きさが描写される。
読後、しばらくは自分の中に様々な感情が渦巻いた。
第二次大戦下、教会の幼友達修平と、本当の恋をし、
本当の人生を生きたサチ子の一生。
■感想 ☆☆☆*
長崎に旅行した際、遠藤周作記念館とド・ロ深部記念館を訪れ
遠藤周作さんの作品に興味を持った。おおまかなあらすじは
知っていたり、映画化された作品を見たりはしているが
実際に作品を読むのは初めてである。
しばらく読み続けそうな予感。
物語は第二次世界大戦を背景に、幼い頃主人公サチ子が出会い
「人、その友のために死す。それより大いなる愛はなし」
という言葉の書かれたしおりをいただいたコルベ神父のその後と
サチ子と幼馴染修平との悲恋が交互に繰り広げられる。
ふたつのストーリーを結びつけるのが前述の言葉
「人、その友のために死す。それより大いなる愛はなし」である。
戦時中、クリスチャンが感じたはずのキリスト教の教えと
国が強要する思想との矛盾。自分にはどうにもならない流れの中
敵国を憎むこと、人を殺すことを正義と教える教育に対する葛藤と
その国の思想に表面上だけでも従わなければ生きていられなかった
信者たちの悩み、苦しみ。教会も牧師も神父も迷い、傷つき
苦しんでいたことが伝わってくる。
一方、長崎で布教活動をしていたコルベ神父はポーランドに帰り
アウシュビッツに連行される。この時代に誰もが感じたであろう
「神なんているのか」「神はこの戦争を許しているのか」
という否定的な疑問を一心に受け止め、友のために祈り
友のために悲しみ、友のために犠牲になったコルベ神父。
修平が回答を見つけられずに抱え込み、苦しんでいた悩みに
図らずも異なる場所で同じ回答にたどり着くコルベ神父とサチ子。
彼らはただひたすらに祈る。
サチコは修平のために。神父は苦しんでいる友のために。
おそらくこの時代、多くの日本人が「自分のため」ではなく
「周囲のため」「お国のため」「故郷のため」に生きた。
そう考えなければ、できないようなことを強いられていた。
ラスト、原爆投下時の長崎から戦後30年後の東京に
時代は飛ぶ。描写されなかった原爆投下直後の長崎と
家族にも原爆について語らないサチ子の姿で
その悲しみの大きさが描写される。
読後、しばらくは自分の中に様々な感情が渦巻いた。