のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

草の乱 /2004年日本

2006年02月04日 23時56分02秒 | 映画鑑賞
■監督:神山征二郎
■ストーリ
 1883年、生糸を産業とする秩父郡下吉田村では、世界的な
 不況とデフレによる生糸価格の暴落で、人々の暮らしが
 困窮していた。借金に頼る暮らしを余儀なくされ、高利の
 取り立てに身代限りとなる農家も続出。生糸商家を営む
 井上伝蔵は、人々の窮状に心を痛め、高岸善吉、落合寅位置、
 坂本宗作と「困民党」を結成し、高利貸し取り締まり、
 借金年賦返済の請願運動を始める。警察署、高利貸しへ
 請願・交渉を行うが、事態は悪化する一方。もはや政府を
 打倒するしかないと、困民党は、命を懸けた武装蜂起を決意する。

■感想 ☆☆☆*
 恥ずかしながら、「秩父事件」自体、まったく知らないまま
 この映画を見た。見終わって、あまりのやりきれなさに
 「秩父事件」について簡単に調べてみた。

 秩父事件は、税の軽減、高利貸しへの借金返済の据え置きなど
 4項目の要求を掲げ、略奪や女性への暴行を軍律5か条で
 厳しく禁じて行った武装蜂起。当初3千余名の軍勢だったが
 最後には1万人にもふくれあがった。しかし、軍隊と警察により
 9日後には鎮圧され、「暴徒」の「暴動」による事件として
 12名が死刑宣告を受け、3千余名が懲役となったそうだ。

 自由民権運動と政府との駆け引きや軍部の策略など
 歴史の様々な面がきちんと描かれている。
 決して娯楽で見る作品ではないけれど、歴史というものが
 こういう名もない(もしくは、歴史の波にのまれつつある)
 先人の苦労、努力で成り立っているのだと改めて教えてくれる作品。

 なにより、この事件の中心となった人たちがみな
 自分の利益ではなく、「自分たちの仲間のため」「義のため」
 「将来の日本のため」に立ち上がる様子に心を打たれた。
 勝ち目はないと分かっていても動かざるを得ない戦。
 勝ち負けではなく、自分たちの意見を伝えるために
 今の日本をほうっておいてはいけないという思いに突き動かされる
 彼らの姿に熱いものがこみあげた。

 「自分は命をかけるつもりでがんす。」
 命をかける、という言葉を言葉の綾ではなく、
 真剣に使っていた時代が確かにあったのだ。

 「自分の人生は自分のもの」
 ついついそう考えてしまう自分がいる。
 勿論、その考えは映画を見た後も持ち続けているし、
 正論だとも思っている。
 けれども、今の自分のためだけに生きていていいのだろうか。
 もっと大きな目を持ちたい。もっと大きな心を持ちたい。
 その上で、自分ができることを自分にできる範囲で
 無理することなく行い、「未来」を後悔することなく見たい。
 そんな気持ちにさせられた。

 
 圧巻はやはり8000人のエキストラ。
 村人たちのやりきれない思いと暴動に走らざるを得なかった
 エネルギーのようなものが伝わってきた。

 ただひとつ残念だったのは、緒形直人さんの老け顔。
 ・・・それはちょっとやりすぎでしょう。。。。

博士の愛した数式 / 2006年日本

2006年02月04日 23時29分03秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 家政婦として働く「私」はある春の日、年老いた元大学教師の
 家に派遣される。彼は優秀な数学者だったが、17年前に
 交通事故に遭い、それ以来、80分しか記憶を維持できなく
 なったという。数字にしか興味を示さない彼との
 コミュニケーションは困難をきわめる。しかし「私」の
 10歳になる息子との出会いをきっかけに、そのぎこちない関係に
 変化が訪れる。彼は息子を笑顔で抱きしめると「ルート」と名づけ、
 「私」たちもいつしか彼を「博士」と呼ぶようになる。

■感想 ☆☆*
 先週見た映画だったのですが、感想をまとめられませんでした。
 もう一度、みようか、未だに迷っています。

 なぜなら、小説では家政婦さんと博士の間に
 「そこはかとない愛情」を感じたような気がするにも関わらず
 映画ではその「愛情」が「人間愛」になっていたため。
 のりぞうが小説を読み間違えていたのか、映画を深く見ることが
 できていなかったのか、そんな中途半端な状態で
 この感想を書いていいものか、と逡巡。

 けれども「一回見ただけの感想」ということで。
 二回目見てまた印象が異なれば、その変遷ものりぞうにとっては
 面白いかも、ということで。

 前述のような(のりぞうにとっては)決定的な違いがあったものの
 小説に忠実に従っている印象を受ける。
 博士の暖かい笑顔、その視線。
 ルートの博士を思い出すときの嬉しそうな表情。
 博士に教わった数学の面白さを学生に伝える心底楽しそうな声。
 海辺で自分の頭を差し出し、「ルート」記号の頭を
 なでてもらう青年のルート。

 どれもが暖かく、優しい映像。

 しかし、だからこそ私には、小説のほうが面白く感じられた。
 映像のほうが合う話と小説のほうが合う話がある。
 小説を通して伝わってきた優しさ、暖かさをのほうが
 私には印象が大きかった。

 それでも春夏秋冬を彩る風景の美しさは博士の穏やかな人柄と
 よくあっていて、穏やかな気持ちになった。

出会い運

2006年02月04日 22時48分46秒 | 日常生活
出会い運はかなり大きいほうだと思います。
個性的な方や素敵な方に出会うことが多く
自己啓発を促進されることも多し。
また、一度のご縁のはずが、末永くお付き合いが続いて
「友人」となることも多し。
「出会い」によって色々と得していることが多い人生です。

それとは別の出会い運も
また異常に高い気がする今日この頃。。
こちらは「すれ違い運」「遭遇運」とも呼ぶべき運。
とにかく街中で、自宅周辺で、地下鉄で
いろんな知り合いとよく遭遇します。
たいていはのりぞうが気を抜いているとき。
ひとりで自由に行動しているとき。

・・・よって、いろんな方に
「本当にトモダチがいないかわいそうな人」
と思われてます。ま、あたらずとも遠からず。

昨年一年間は、週末に中心地へ出ると
必ず誰かに遭遇するという奇遇さ爆発の一年でした。
最高記録は1日で8名の知り合いとの遭遇。

これはきっとひきこもり体質のりぞうへの
神様からのプレゼントに違いありません。
無精者のため、ついついいろんな方に対して
連絡を怠りがちなのりぞうに
「忘れられないようにしなさいよ。」
という配慮ではないでしょうか。

というわけで、本日も大学時代の友人miyaと
映画上映会会場で遭遇。
彼女は上映会に来ていたわけではありません。
上映会会場の隣にあるレストランに
仕事仲間たちと昼食を取りに来ていたのです。

「なんばしよっとねー!!」
という聞き覚えのある声と見覚えのある笑顔。

うっわー!てなもんです。
テンションも急上昇。気分は一気に女子大生☆


でもね。
約束もしてないのに、こんなふうによく遭遇できるのに
なんで、約束して会おうとすると
二年越しとか三年越しの再会になるのよ?!


・・・次の偶然の出会いと約束しての待ち合わせ
どちらが早いかなぁ・・・・。

天使突抜一丁目―着物と自転車と / 通崎 睦美

2006年02月04日 22時28分37秒 | 読書歴
■内容
 アンティーク着物の着こなしで人気のマリンバ奏者・通崎睦美。
 斬新な音のアーティストが綴る「普段の京都」の美的生活エッセイ集!
 昔着物を着こなしたキュートな写真を随所に織り込む。

■感想
 とにかくかっこいい女性のかっこいいエッセイ。
 肩肘張らずに、自分の好きなものを探し出し
 自分の好きなものに囲まれて、自分の価値観で
 服装も仕事も選んで生きている。
 そういう「大人の女性」臭がただよう作品。

 彼女が颯爽と着こなしている着物はどれも個性的で
 「好き」という気持ちがなければ着こなすことも難しそう。
 そんな着物をあっさりと着こなす。
 その自由な感じがまたかっこいい。
 その自由さは着物の着方にも現れていて
 その組み合わせや着崩し方が更にかっこいい。

 着物好きな私は彼女のこだわりの着物姿を
 ただ眺めているだけで十分満足。
 ・・・訂正。
 着物を着て外出したくなった。
 今年の春は着物を着てお花見。
 そんな粋なことをしてみたい気分。
 「粋」は一朝一夕に実現できるものではないけれど。

 また、どのページからも彼女の地元「京都」を
 愛する姿勢が伝わってくるのも嬉しい。
 観光地ではなく、そこで育ち、今も住んでいるからこそ
 分かる京都のすばらしさ。そして面倒さ。
 住んでいれば、よいところもあれば悪いところもある。
 それでも地元を愛している彼女がいとしい。
 あったかい気持ちになる。

 観光地京都ではなく、住宅街や旅館街など
 普段の京都を歩いてみたくなった。