のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

心配事

2006年02月27日 23時26分49秒 | 日常生活
週末、北大阪の貴公子さんから
転勤のご連絡を電話でいただきました。

なんでも北大阪ではないところへ異動の模様。
・・・・すみません。地名は忘れました。
関西方面から外には出ていないはず。

度重なる異動は大変そうですが、
今ののりぞうには「定期的な環境の変化」が少々羨ましい。
ないものねだりです。

と、そんなことを話していたら
貴公子さんが心配そうにつぶやきました。

「北大阪の貴公子やなくなるっちゃんねぇ。」

・・・・・確かに。
しかし、そんなことまで心配していただけるとは。
貴公子さんの生活にこのブログがそこまで根付いてるとは。
ちょっぴり嬉しいような、てれくさいような。

ま、北大阪だろうが北海道だろうが、東京だろうが、
「貴公子」とつく限り他の方も分かってくれると思いますことよ。







もっとほかの事を心配してくださいませ。
(あ。言っちゃった☆)

ホテル・ルワンダ

2006年02月27日 23時16分45秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 フツ族とツチ族の間で続いていた内戦が終息、和平協定が
 結ばれようとしていた1994年、ルワンダの首都キガリ。
 外資系高級ホテル、ミル・コリンの支配人ポールは、
 近くフツ族の民兵によるツチ族の虐殺が始まるという噂を耳にする。
 やがてフツ族大統領暗殺の報道がなされ、フツ族が武器を片手に
 ツチ族を襲撃し始めた。フツ族のポールは、ツチ族の妻・タティアナと
 息子たち、そして隣人たちを守るため、ホテルに匿うのだが。

■感想 ☆☆☆☆☆
 1994年ということは、たった12年前。
 私は高校1年だった。「もう」高校1年。
 ニュースも新聞も見ていた。しかし、この大虐殺について
 まったく知識がない。こんなことがお子っていたことすら
 知らなかった。

 10日間で100万人の虐殺。
 この映画は1200人を救ったホテルの支配人の実話である。
 1200人が救われたという話にも関わらず
 100万人のうちの1200人というその割合に、そして
 救われなかった人数に、ただただ圧倒された。
 
 映画内で世界からの救助を期待する主人公に新聞記者は言う。
 「誰も助けに来ない。
  彼らはこのニュースを見て
  こわいわね。と言いながらディナーを取る。
  それが現実なんだ。」

 それは、まさしくこの映画を見ている私のことだ。
 私がこの映画を見てどれだけ泣いても
 どれだけ戦争や平和について考えても
 それは結局「他人事」でしかないのだ。
 では、私にできることは一体なんだろう。
 私ひとりにできることは限られている。
 直接できることは何もない。しかし、「無関心」より
 できることはあるはずだ。

 日本人にとってはあまりに異質な世界。
 今の私たちがどんなに追い込まれても、こんな殺戮には
 発展しないと思う。それはこれまで経験してきた歴史が
 異なるからだろう。こういった虐殺が発生してしまうほど
 ゆがめられていたルワンダの歴史をもっともっと知りたい。
 そして、私が今享受している幸せをきちんと自覚しておきたい。

 映画のラストは1200人のルワンダ人が
 亡命するところで終わる。
 それは決してハッピーエンドではない。
 命が助かってよかった、ではなく
 国民が自分の国を捨てなければいけなかった事実を
 その重さをきちんと受け止めたい。
  

キャシャーン / 2004年日本

2006年02月27日 22時52分26秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 そこはアメリカが存在しない世界。大東亜連邦共和国の
 遺伝子工学の権威・東博士(寺尾總)は人体のスペアパーツを
 可能とする新造人間の開発に勤しんでいたが、その結果
 生まれたブライ(唐沢寿明)は人類に宣戦布告。
 博士は、自分に逆らい戦場に赴いて戦死した息子・鉄也(伊勢谷友介)を
 新造人間としてよみがえらせた。

■感想 ☆☆☆☆
 あまりよい評価を聞いたことがなかったものの
 友人から「そんなに悪い映画ではないよ。」という
 初めての好意的な意見を聞いて、録画していたものを鑑賞。

 私は好きでした。この世界観。
 但し、この映画を受け入れるのには以下の要素が必要なのでは
 ないかと思われます。
 ・原作を見たことがない方。
 ・原作に思い入れがない方。
 ・突込みどころ満載の設定も「こういう設定なんだ」と
  そのまま受け入れられる方。

 混乱を極めた世界。
 戦いが終わらず、多くの人々が貧しく、荒廃していく街。
 そんな中、生まれる新造人間。
 作り出した博士にさえ、コントロールが利かない彼らは
 人類に反旗を翻し、博士は彼らを抑えるために自分の息子を
 新造人間として蘇らせる。

 最初から最後まで救いのない世界観。
 「性悪説」に基づき、「つまり、憎しみとは、人間也!」 
 とまでブライに言い切らせる。

 憎しみが人間なのか。
 人間が存在する以上、憎しみはなくならないのか。
 そもそも、愛情と憎しみの境目はどこにあるのか。

 ラストの30分はただただ胸が痛かった。
 自分の存在意義を根本から否定されるブライ。
 悪を倒しているはずの自分が人を殺した過去を
 持つことを思い出すキャシャーン。
 誰が正義で誰が悪なのか混沌とし続ける関係。

 そもそも「悪い人」は存在しないのだ。
 登場人物はみな、自分が生きるために、自分の愛する人を
 生かすために精一杯自分にできることをしようとした
 人たちばかり。それがどこかでほんの少し狂ってしまう。
 そのほんの少しの狂いが世界を破滅に導いていく怖さ。

 「キャシャーン」の物語と見せかけて、
 彼自身が表舞台にはたつ場面は少ない。
 クライマックスでも大活躍をするわけではない。
 ただただ、苦しみ、悩み、逡巡するヒーロー。
 戦いに「正当な理由」は存在しないことを改めて
 訴えかけてくる作品。

 主題歌が流れる中、登場人物たちの「幸福だった頃」
 「取り戻すことのできない過去」の映像が流れる。
 画面いっぱいに広がる様々な人々の笑顔に
 優しい視線に胸が痛くなる。

 うまく言葉にできないけれど、もう一度見たい映画。
 なぜこんなに辛い気持ちになったのか
 改めて見直して考えてみたい。

わたしのひとり暮らし手帖 /岸本葉子

2006年02月27日 20時31分49秒 | 読書歴
■内容
 家賃はあるし、食費や光熱費もかかる。
 でも、時間と空間がぜーんぶ自分のものになるのは、うれしい!
 いま、ひとり暮らしをしている人はもっと楽しく、これからの人は
 早くひとり暮らしがしたくなる本。

■感想 ☆☆*
 副題は「―安心・快適・健康な毎日にする52のコツ」です。
 実はこういう内容の本って結構好きで定期的に借りてきては
 読んでます。のりぞうの中で同じカテゴリ内にあるのが
 「おばあちゃんの知恵袋」とか「ひとつの鍋で3品作る!」
 などといったあおり文句がついているハウツーもの。

 読むだけでちょっぴりやる気が出てくるのが嬉しいのです。
 実践するかどうかは別として、確実に知恵はつきますし。

 今回のこの本、最初に
 「一人暮らしだからこそ決めておきたい10か条」
 が書いていました。

 10個全ては覚えていませんが、こんなのが印象に残りました。
 ・週に一度はおうちごはんをする。
 ・朝はお味噌汁で栄養をとる。
 ・長電話はしない。
 ・ひとりの時間を持つ。

 まあ、当たり前っちゃあ、当たり前。
 しかし、最後のふたつはちょっぴり印象的でした。
 ひとりぐらしの子はいいように扱われやすいので
 暇なときに電話してこられたり誘われたりすることが
 多いんだそうです。だからこそ、自分でコントロールして
 自分が無になれる時間をもつことが大事なんだそうな。

 心当たりがあるような。
 その割りに、のりぞうはひとりで過ごしている時間も
 きちんと多いような。

 思うに「暇なときに思い出してもらえる」というのも
 またひとつの幸せなんじゃないかな。

 とりあえず、もうしばらくは一人暮らし、ガンバリマス。
 週末に実家で元気をもらってきたしね。