のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

誰が何と言おうと親子丼

2006年12月10日 21時48分51秒 | 日常生活
毎週、教会の礼拝が終わった後は
みんなでお昼ご飯を食べて帰ります。
週代わりで当番さんがいて、
食事の準備をしてくださっているのです。

本日ははじめての愛餐(お昼ご飯)当番でした。

・・・と、言っても30人分のお昼ご飯だなんて
ご飯を何合炊けばいいのかも分からんっ!
何を作ればいいのかも分からんっ!
と、途方にくれているのを見かねて
頼もしい友人が手伝ってくれることに。
正確に言うと、見かねて友人が料理をしてくれることになり
のりぞうはおとなしくお手伝いをしました。

メニューは手早くたくさん作れるから、
という理由で親子丼に決定です。
前々日、材料をすべて購入してくれた友人。
当日、酒とみりんのみ持って行くのりぞう。
到着後、てきぱきと材料をそろえ始める友人。
米20合を計るうちに、
今、自分が何合入れたのか分からなくなるのりぞう。
玉ねぎをどんどこ切っていく友人。
米20合分のお水の量が今ひとつ分からず
途方にくれるのりぞう。
鍋に水をわかし、切り終わった材料を
ざかざか入れていく友人。
味見をしすぎて、味が分からなくなり
逆切れしながら「これでよか!」と開き直るのりぞう。

大騒ぎしながら、友人の足を引っ張りながら
初めての愛餐当番を終えました。

本日の愛餐への評価コメント。
「うん。ツユはおいしいね。」
「これ、だしは何でとったと?
 具がどこにも見えんけ、分からんけど。」
「今日のお昼ご飯は材料費、かかってないんやない?」
「これ、親子丼?親の姿が見えんのやけど。」

・・・・ええっと。親子丼です。
誰が何と言おうと親子丼です。

食べ終わった後、残った汁が勿体無いと思い、
家に持って帰ってこの汁で煮物を作ろうと
たっぱに移したところ、鍋の底にみんなが捜し求めていた
親の姿がごろごろしてました。
のりぞうがありがたく家に持ち帰りました。

教訓。
 親子丼を作るときは、全体をかきまぜるべし。
 どんぶりの中で、親と子どもと両方の姿を確認してから
 みんなに出すべし。
 親の姿が足りなくなったときは、開き直って
 「卵丼」と言うべし。

次の愛餐当番が楽しみです。

孔雀狂想曲/北森 鴻

2006年12月10日 21時12分43秒 | 読書歴
■ストーリ
 いつも開店休業状態の下北沢の骨董屋・雅蘭堂。
 でも人々の思いのこもった「モノ」をめぐって
 事件が起きれば、雅蘭堂主人は名探偵となって
 謎を解決するべく動き始める。

■感想 ☆☆☆
 またまた北森さんの作品である。
 すっかり北森さんの世界に入り込んでいる。
 私にはまったく縁のない世界をミステリと絡めて
 面白おかしく、そして興味深く見せてくれる。
 ミステリだけを楽しむのではないお得感に
 はまっているのかもしれない。
 
 骨董の世界という胡乱な世界を渡り歩くために必要なのは
 骨董の知識、骨董への愛情、そして好奇心。
 一筋縄ではいかないバイヤーとのやり取り
 裏や含みがある知的な会話の数々は
 骨董の世界では若輩者だという店主の
 癖のあるモノの見方、ひねくれものの性格が
 よく表れていて、にやりとさせられる。
 「いい人」ではない。けれども「骨董」へのこだわり
 愛情はとても暖かい店主が魅力的な作品だ。

アフター・ダーク/村上春樹

2006年12月10日 21時02分37秒 | 読書歴
■ストーリ
 真夜中から空が白むまでのあいだ、どこかで
 ひっそりと深淵が口を開ける。都会のファミレスで
 熱心に本を読む女性。彼女に声をかける男性。
 同じ頃、違う場所にひたすら眠り続ける女性がいた。
 そして、ラブホテルでひっそりと働く女性も。

■感想 ☆☆*
 村上春樹さんの文章は好きだ。
 さらさらと綺麗で、日本語の美しさを実感できる。
 ただ、凡庸な私の頭では理解できない哲学世界が
 繰り広げられていて、私は私なりの理解しかできて
 いないことを実感しながら読むことになる。
 おそらく、村上さんの意図していることを
 私は小説から全て読み取ることはできていない。
 私の頭の中は哲学とは無縁で、即物的なのだ。

 それでも村上さんの作品をたまに手に取るのは
 やはりこの言葉の美しさが一番の理由なのだと思う。
 そして、たまにずしんと腑に落ちる言葉との出会い。
 それが心地よいのだと思う。

 今回、もっともずしんと来たのは努力に関する言葉。
 「ひとりでこつこつとやる。森の鍛冶屋さんみたいに?」
 「そう。」
 「でもね。それができるというの立派なことやと思うな。」
 「努力するということが?」
 「努力できるということが。」

 常々、妹と語り合っていたことを同じように
 感じている人がいて嬉しく思った。やはり、と納得した。
 「努力する」ということはそれだけで
 「努力できる」というひとつの才能なのだと思う。
 勿論、「才能なんだ。私にはその才能がないんだ。」
 とあきらめていいわけではない。
 努力することは諦めてはいけないことのひとつだ。
 けれども、世の中にはその才能を身につけている人、
 苦労せずに努力できる人がいるのだと思うのだ。

 村上さんの作品を読んでいると、自分には
 そういう「天性」の才能がないことを実感する。
 賢さとは無縁だということも。
 けれど、賢い人の文章を読むと嬉しくなる。
 その嬉しさを求めて私は村上さんの作品を手に取っている。

【再放送】スタアの恋

2006年12月10日 20時29分59秒 | テレビ鑑賞
■2001年秋クールだそうです。
■出演者:藤原紀香、草なぎ剛、戸田恵子、宇梶剛士
     筧利夫、勝村政信、古田新太、長谷川京子
■ストーリ
 中田草介(草なぎ剛)はどこにでもいる普通のサラリーマン。
 取柄もなく、これといって特徴もない。
 毎日まじめに働き、まじめに生きている普通の男である。
 彼はある日、トップスター・桐島ヒカル子(藤原紀香)と
 偶然、遭遇する。住む世界のまったく違う男と女の恋の物語。

■感想
 ・・・またもや、再放送ドラマにはまってました。
 もうね、そんな時間ないでしょ?!と自分に言いたいわけです。
 まだクリスマスカードにも年賀状にも
 まったく手をつけてないって言うのに!

 でもですね、このドラマ、大好きだったんです。
 毎週、楽しみに見てたんです。懐かしくて、懐かしくて。
 今は連続ドラマでしょっちゅう見かける劇団出身の
 脇役陣が勢ぞろいしているドラマです。
 今見ると、ものすごーく豪華です。
 でもって、さすが劇団出身。
 みんなとってもテンションが高いです。はじけちゃってます。
 そういうテンポのよさが大好きでした。
 どこまでが脚本で、どこからがアドリブなのか
 境目がよくわからないかんじの演技が続いてます。
 もともと、筧さんと古田さんは同じ劇団出身
 筧さんと勝村さんも昔、同じ劇団の先輩・後輩の関係
 だったそうで、日常生活も仲良しさんのようです。
 だからこそ、の演技なんだろうなぁ。
 と、微笑ましく見てました。

 勿論、主役二人も素敵でした。
 特にこのドラマの藤原さんは、スタアというよりも
 世間知らずなお姫様という感じでとても愛らしいのです。
 なのに、自分の仕事にはどこまでも真剣で
 プライドもきちんと持っていて、でもすべてを
 手にしているから、自分のことに執着があまりなくて、
 自分の感情にも鈍感で。

 一方、草なぎさん演じる草介さんは
 誇れるものが何もなくて、自分に自信がまったくなくて
 だから好きな人のために自分ができることを
 見つけられずにいて、でも好きで、好きだから
 自分が身をひくこと、遠くから見守るだけでいること
 それが彼女にとって一番なのではないかと思ってしまって。

 そういうすれ違いや勘違いが
 お互いにお互いのことを思い合うから生じてしまう。
 そういうドラマでした。
 意地悪な人がまったく出てこない。
 ファンタジーといってしまえばそれまでですけれど
 やはり、ドラマはこのくらい後味がよいものが好きです。