のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

近況報告

2006年12月29日 15時51分15秒 | 日常生活
クリスマスを挟んで連日連夜、飲み会三昧だった
二週間がようやく終わりました。
今年は諸事情重なって、飲み会が続いて
いろんな方とお話ができた楽しい年末でした。

今日は久々にぽこりんとまったりデート
明日は高校時代の同級生と、実に数年ぶりのランチです。
本当はこれに大学時代のバイト仲間とのランチも
入っていたのですが、そちらは年明けに延期となりました。

そんなこんなで、毎年24日には年賀状をすべて書き終え
「まだ書いてないのー?」
と周囲の方々に優越感を抱いていた一年で唯一のこの時期
夏休みの宿題に追われるちびっこ同様、
「こんなはずじゃなかったのにー!」
と焦っています。

あまりに焦りすぎて、
とりあえず年賀状のあて先だけ全部書いてみたり
(1枚全部書いちゃいなさいっ!
 そうすれば1枚は出せるんだから!)
10枚書き終えた時点でポストに投函しに行ったり
(郵便やさんがポストに葉書を取りに来る時間は
 決まってるんだから、ちょっとずつ出しても無駄!)
と完全に時間の無駄遣いに走ってます。やばいー!

しかし、努力が実って、とりあえずは残り10枚ぐらいほどに
なりました。後は誰かを忘れてないことを祈るばかり。
10枚だもん。残りは今晩でもよかろう。


典型的な喉もと過ぎると熱さ忘れるタイプです。

年末に思うこと

2006年12月29日 15時14分41秒 | 日常生活
後輩の送別会に行ってまいりました。
参加者9名ほどのうち、福岡に残っているのは約5名。
そのうちの2名は出張で全国を飛び回っているため
ほとんど社内にいない人たちです。
つまり、参加者のほとんどが滅多に見ることができない顔ぶれ。
久々にゆっくり話すことができ、
とても楽しい時間となりました。

とはいっても、送別会。
「寂しい」のです。

今年の年末は同期や後輩がたくさん会社を去りました。
会社を去っていく理由はみな前向きなもの
自分の未来を真剣に考えた結果のものばかりだったので
心から応援できるものばかり。
去っていく人たちもみな笑顔でした。
でも、だからこそ「おいていかれている」ような
寂しい気持ちが大きいのかもしれません。

辞めていく方々の将来が
笑顔でいっぱいのものでありますように。
そう願ってるのは事実。
なのに寂しい。
そんな自分の心の狭さが嫌でたまらない年末でもありました。

後輩たちは3年後に同窓会を開くそうです。
ぜひ、実現してほしい。
そして、それぞれが胸を張って近況報告できるような
日々を送っていてほしい。そんなことを思いました。

その頃、のりぞうは31歳。
せめて年相応に「大人」でありますように。
今、悶々と悩んだり考えたりしていることが
いつか私の糧となって、
「そんなこともあったよね。
 そんなことばかり考えてたよね。」
と笑って振り返ることができていますように。

何より、人の幸せを心から
何のくもりもなく願える人でありますように。

チョコレート・アンダーグラウンド/アレックス・シアラー

2006年12月29日 15時00分59秒 | 読書歴
■ストーリ
 舞台はおそらく現代のある国。選挙で勝利をおさめた
 健全健康党はチョコレート禁止法を発令した。
 国中から甘いものが処分されていく。
 そんなおかしな法律に戦いを挑むハントリーと
 スマッジャーの痛快冒険談。

■感想 ☆☆☆*
 愉快で痛快でハラハラして、最後にはすかっとする、
 わくわくがたくさん詰まったお話。
 読んでいる間中、主人公ふたりの行く末が気になって
 全身に力を入れながら、ページを進めていった。

 作者は簡単な言葉で、ユーモアにくるみながら
 大切なことをしっかりと教えてくれる。
 自由の大切さ。勇気の重大さ。
 私一人が頑張ったって・・という意識の怖さ。
 どうせ変わらないし・・・と考えて、
 行動しないことのくだらなさ。
 ひとりでは無理かもしれないけれど、
 仲間がいればたいていのことはできる、という希望。

 そう、仲間がいれば勇気もたくさんはいらないのだ。
 ちょっとした勇気。それで十分。
 みんなの勇気が集まれば、何かが確実に変わる。
 だから私たちは真剣に考える必要があるのだ。
 自分のことだけではなく、全体のことを。
 今のことだけではなく、未来のことを。 

ニホンゴ キトク/久世光彦

2006年12月29日 15時00分50秒 | 読書歴
■内容
 言葉は味もにおいもある生き物。病気もするし、死にもする。
 「辛抱」「気落ち」「じれったい」など色気があり、柔らかで
 耳障りのよい日本語が死にかけている!
 消え行くニホンゴへの思いあふれるエッセイ集。

■感想 ☆☆☆☆☆
 何度も何度も繰り返しているけれど、久世さんのエッセイが
 好きだ。久世さんの感性が、言葉が、文章が好きだ。
 昭和の時代を愛し、日本人を愛し、日本語を愛していた
 久世さん。このエッセイはそんな彼の想いが詰まった一冊だ。

 紹介されている言葉は確かにどれも意味は分かるけれども
 日常生活の中では聴かなくなった言葉たち。読んでいると
 寂しさが募ってくる。私たちはいつから日本語を大切に
 しなくなったのだろう。
 確かに言葉は生き物だ。変わっていくのは仕方がない。
 時代と共に生きている言葉が、時代に沿って変遷していく。
 これはとても自然なことで、そこまで目くじらをたてること
 ではない。そうも思う。けれども消え行く言葉を見ていると
 まるで亡くなった人を忘れていっているような寂しい気持ちに
 なるのだ。忘れたくない、そう思うのだ。

 寂しい気持ちで読み進めていた本書で一箇所だけ本気で泣いた。
 久世さんが手がけた終戦ドラマ「いつか見た青空」の
 ナレーションが書いてあり、その言葉に熱いものがこみ上げた。
 「いつか見た青空」はごく普通の家族たちが、静かに
 8月15日を迎える様子を描いたドラマだった。空襲も原爆も
 兵隊も出てこない終戦ドラマだ。
 そのドラマは黒柳徹子さんのナレーションで終わりを迎える。

 「あの日の空は青かったと誰もが言います。
  何かが終わったのか、それとも、これから始まるのか
  ・・・私にはよくわかりませんでした。私たちは四人で
  青い空を見ていました。いつまでも・・・いつまでも・・・。
  あれから50年経った今でも、あの日の、
  泣きたいような、笑いたいような空の色は、
  私たちの心に焼き付いているのです。」

 このくだりは「玉音」という言葉の章に書かれている。
 玉音という言葉もいつかみんなから忘れ去られてしまうの
 だろうか。言葉は記憶と共にある。忘れてはいけない言葉は
 確かにあるのだと思う。