のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

スパルタ教育

2006年12月17日 02時06分21秒 | 日常生活
文章を書き始めたら、止まらなくなってしまったのりぞうです。
いい加減、眠らんと!と思いつつ、ブログを書き続けているのです。
何を興奮しているのやら。。。

さて、本日、母親から電話がかかってきました。
昨日の朝に二回、夜に一回、電話がかかってきていたのですが
電話に気付かなかったり、友人と遊んでいたりして
用件が聞けていませんでした。

ようやくゆっくり話せる段になったのに
突然、電話の向こうでもじもじしだす母親。

「どうしよう。
 これ言ったら、絶対にあんた怒るけん。
 ・・・怒らんで聞いてね。
 あー。でも怒るだろうなぁ。」

もう、早く言いなさいってば。

「あのね。
 あんた、今年も寂しいクリスマスやね。」


・・・・はい?
迷いに迷って口にした言葉がそれですか?
昨日から何度もかかってきた電話の用件がそれですか?

しかし、ご安心ください。母上。
今年のクリスマスイブは日曜日。
朝からクリスマス礼拝、夕方からはイブ礼拝が行われるため
のりぞうは一日中、大忙しです。
おそらく一日中、教会です。
しかも月曜日は友人と食事の約束もしているのです。
ちっとも寂しくありません。

丁寧に説明してあげたところ
「そういうのを寂しいクリスマスって
 世間一般では言うんよ。」
と、諭されました。いえ、せせら笑われました。

くっ。
そこにまったく価値観を見出していないのに
せせら笑われると悔しく思ってしまう
自分の負けず嫌いっぷりが恨めしい。

これも母親のスパルタ教育のおかげでしょうか。

私の頭の中の消しゴム(2005年韓国)

2006年12月17日 00時58分17秒 | 映画鑑賞
■ストーリ
 物忘れが激しいスジンは、忘れ物を取りに戻ったコンビニで
 チョルスという青年に出会う。偶然に再会を重ねるうち彼らは
 愛し合うようになり、やがて結婚。しかし、その時すでに
 スジンは若年性アルツハイマー病に冒されていた。病状が
 日々悪化し、夫が誰かすらも忘れてしまうスジン。

■感想 ☆☆☆☆☆
 鑑賞2回目です。
 昨年は妹と試写会で見て号泣しました。
 1回目の感想はコチラ

 今回は吹き替え版です。
 谷原章介さんと小西真奈美さんというのりぞうの大好きな
 俳優さん、女優さんが声を担当するため、
 楽しみにしていました。
 が。本日は後輩の結婚式で外出していた上、
 妹からの指令により「たったひとつの恋」を録画していたため、
 最後の30分のみの鑑賞と相成りました。

 最後の30分のみにも関わらず、号泣しました。
 何度見ても泣けます。それぐらい主役二人の演技は切ないです。
 大好きなのに、忘れてしまう。
 愛している人から忘れられてしまう。
 どちらも同じくらい哀しいけれど、
 やはり残されるほうが辛いなぁ、としみじみ思いました。

 生きている限り、「どうしようもないこと」は
 必ずあると思うのです。
 けれど、その「どうしようもないこと」に左右されないほどの
 強さで想うことが「好きになること」なのだと信じたいのです。

 どうせ理想論です。
 でも、「好き」という思いは、
 理想を追い求めるべき感情だと思うのです。
 それぐらいの強さが必要な感情だと思いたいのです。

ラッシュです。

2006年12月17日 00時41分43秒 | 日常生活
ラッシュです。とうとう来ました。
結婚ラッシュ。
同期の男性陣が続々と結婚してます。
後輩も続々と結婚してます。

しかし、同期女性陣の結婚の噂は頓と聞きません。
同級生の女性陣もまったく結婚しそうにありません。
安心していいのやら不安に思ったほうがいいのやら
のりぞう、フクザツな気分を抱えております。

そんなのりぞうに、年末年始の予定を確認するため
電話をかけてきた幼馴染が妙な確信を持って言い放ちました。

「53年生まれの女性は結婚が遅いとって。」

・・・・え?
53年生まれの女性、と断定しちゃいますか?
そこまで仲間を増やしちゃいますか?

まあ、のりぞうの周辺を見る限り、
断定できちゃうわけですが。
それにしても広げすぎでは?

「いいとって。仲間は多いほうが。」

そういう問題ではない。はず。・・・たぶん。

とりあえず、身近なところに
結婚ラッシュはまったく来ていないのりぞうですが
年末飲み会ラッシュは襲い掛かってます。
今はそれで十分です。

地下室からのふしぎな旅

2006年12月17日 00時14分16秒 | 読書歴
■ストーリ
 人けのない地下室に、黒いマントの見知らぬ男が現れた。
 彼の名前はヒポクラテス。となりの世界から土地の契約更新に
 やってきたのだった。
 アカネとチイおばさんは、彼につれられて
 地下室の壁をすりぬけ、隣の世界の木の芽時の国へ
 行くはずだったが、待っていたのは思いもよらぬ場所だった。

■感想 ☆☆☆*
 アレックス・シアラーの児童書を読んでいると
 日本の作家さんのファンタジーが読みたくなった。
 そこで手に取ったのがこの本だ。
 初めて出会ったのは小学校四年生のとき。
 幼馴染の家で見つけて借りて帰り、貪るように読んだ作品だ。
 彼女に借りた記憶は一度しかない。
 たった一度しか読んでいないのに、話の筋も読んでいるときの
 高揚も鮮明に覚えている。だから、社会人になってから
 古本屋で再会すると、迷わず購入した。

 私にとっては、地下室自体が珍しい場所、わくわくする
 場所だ。まして、そこが別の世界につながっていると
 聞けば、わくわくしないわけがないのだ。
 ちょっぴりのんびりやのアカネと好奇心旺盛な
 チイおばさんが繰り広げるふしぎな旅は
 今読んでも心踊るひとときだ。

ひと恋しくて~余白の多い住所録~/久世光彦

2006年12月17日 00時05分47秒 | 読書歴
■概要
 日本の文化の流れに欠かせない人、残ってほしい人
 忘れられない76名の横顔を偏愛のひとによる文章で記す。

■感想 ☆☆☆☆☆
 久世さんの随筆が好きだ。
 特に向田邦子さんとの思い出を書き綴っている随筆が好きだ。
 久世さんの向田さんに対する尊敬、愛情、友情が
 たくさん詰まっていて、向田さんの魅力が
 しっかりと伝わってくるのだ。

 この作品はそんな久世さんが向田さんだけではなく
 「自分の好きな人」について語っている文章だ。
 紹介されている人は、小説家、俳優、女優、漫画家、
 音楽家と多岐にわたる。既に亡くなっている方、
 ここに書かれた時点では元気だったものの、その後
 亡くなった人、まだまだ元気で活躍している人、と
 現在の状況も、また久世さんとのかかわりの深さも様々だ。

 しかし、そのひとりひとりに対する愛情のかけ方には
 まったく偏りがない。時には友情、時には憧れ、
 ときには尊敬の念、とその思いの種類は様々だが
 久世さんが一目を置いていたり、影響を受けたりしていて
 だから、みんなにも忘れないでいてほしい、と
 切実に思っている。
 その想いが伝わってくる文章の数々だった。

 その中には久保田万太郎や島田清次郎のように
 既に一般的には忘れ去られている人も多い。
 久世さんの紹介文を読んでいると、
 彼らについてもっと知りたくなる。
 作家ならば、彼らの本を読みたくなる。
 女優なら、彼女が出ている作品を見たくなる。
 久世さんは見事に私と彼らの橋渡しをしてくれる。

 「私の住所録には、年々死者たちの名前が増えていく」
 と嘆いていた久世さんも今年の始めに亡くなった。
 私も久世さんがかみ締めてきた寂しさを実感している。

セーラー服と機関銃・その後~卒業~

2006年12月16日 23時47分58秒 | 読書歴
■ストーリ
 18歳、高校三年生になった星泉。高校卒業を間近に備え、
 できるだけ普通の女子高生として生活したいと願っている。
 しかし、星泉の名を騙る「偽者」が現れたり、強引な
 地上げに苦しむ街から「街を救ってほしい」と頼まれたり
 周囲が落ち着かない日々を送っている。
 「セーラー服と機関銃」の続編。

■感想 ☆☆*
 長澤まさみ版のドラマを見、薬師丸博子版の映画を見、
 残るは赤川次郎版の原作を読むだけだ、と思い
 図書館で探したところ、続編しか見つけることができず
 手に取った。
 毎度毎度の赤川節でさっくりと読める作品だ。

 しかし、意外にもドラマ版との違和感はあまりなかった。
 私の頭の中では、ドラマ版の武さんや星泉で、
 このお話も再現されていたが、ぴったりと
 合っていたように思う。ドラマ版はコミカルな部分も
 多かったため、赤川作品と似通っている部分があるのかも
 しれない。そういう意味では、映画版は小説の設定を
 借りているものの、まったく異なる作品と
 言い切っていいのだと思う。

 組をたたんで、普通の女子高生に戻った星泉だが
 生まれついての気質なのか、親分を経験したためなのか
 常に「他人のために」動く。
 困っている人を放っておくことができない。
 自分よりも周囲を優先し、腹にぐっと力を入れて
 ひとりで困難に立ち向かっていく。
 しびれるようなかっこよさだった。
 単純でいつも似たような話ばかりの赤川作品だけれど
 常にヒロインは「正しいこと」「人の道をはずれないこと」
 を追い求める。自分にとっての損得では動かない。
 その明るさ、まっすぐさが、多くの人に
 読み継がれている赤川作品の魅力の真髄なのだと思う。
 水戸黄門のように安心して読むことができる作品。
 だから疲れると、私は赤川作品に戻ってくるのだ。

ピアノ調律師/ゴフスタイン

2006年12月16日 23時30分58秒 | 読書歴
■ストーリ
 デビー・ワインストックは、活発でがんばり屋さんの女の子。
 彼女にとって、おじいさんがピアノを調律する音は、他の
 どんな音楽よりも最高に美しい音楽。デビーのおじいさん
 ルーベン・ワインストックは世界一のピアノ調律師。
 仕事に厳しく、そしてデビーをとても愛している
 素晴らしい人だ。デビーは、おじいさんのような調律師に
 なりたいのだ。

■感想 ☆☆☆☆
 M.B.ゴフスタインの絵が好きだ。シンプルな線、陰影がまったく
 ない童話のような作風は見るたびに心がほっこりと暖かくなる。
 彼の作品は絵もお話もごくごくシンプルだ。くどくどと
 語りすぎるということがない。それはこの作品も同じだ。
 しかし、そのシンプルで空白の多い絵の中に、
 子どもならではの純粋な喜びや大人にとっての幸福
 そして子どもだからという理由で叶わないことに対する哀しみ
 子どもを思うが故の焦燥がきちんと描かれている。
 どの感情も愛情の上に成立していて、だから
 彼の絵を見ていると、彼の言葉を読んでいると
 それだけで穏やかな気持ちになるのだ。

 ちびっこに読んで聞かせたい作品のひとつだ。

魔法があるなら/アレックス・シアラー

2006年12月16日 23時24分16秒 | 読書歴
■ストーリ
 世界でいちばん素敵な「スコットレーズ・デパート」の時計が
 6時をさしたとき、だれも想像できない冒険がはじまる。
 スコットレーズ・デパートは、歩いても歩いても終わりがないほど
 巨大な高級デパート。お菓子も飲み物も、ダイヤモンドも玩具も
 何だって揃っている。主人公リビーも妹もママもスコットレーズで
 何も買ったことはない。たった一本の鉛筆さえも。スコットレーズ
 で1本鉛筆を買ったら、他のお店では10本は買えるから。
 リビーたちはお金がないのだ。そして、ある日、住むところも
 なくなってしまって、ママは「今日はここに泊まりましょう」
 と宣言する。なんとスコットレーズに!

■感想 ☆☆☆*
 小さい頃、NHKのみんなの歌で流れていて好きだった歌に
 「メトロポリタン美術館」というものがある。大貫妙子さんの
 やわらかい声と童話のような人形劇風アニメーションが
 曲調と合っていて、未だにふと口ずさむことがある。
 この曲は児童文学の古典「クローディアの家出」を
 思いながら作られた歌だということを後から知った。
 それ以来、その「クローディアの家出」は読んでみたいと
 思いつつ、手がつけられていないままでいる。
 「お勧めの児童書」特集があると必ず誰かが挙げているため
 あらすじもほとんど知っているにも関わらず、だ。

 今回、アレックス・シアラーの本を読んで、すぐに
 「クローディアの家出」を思い出した。
 美術館ではなく、デパートだが、生活に困らない家出、
 というテーマに似たものを感じたからだ。
 しかし、リビーたちは「家出」ではない。自分たちが望んで
 飛び出してきたわけではなく、追い出されたのだ。
 すむところがなくて、デパートに逃げ込んできたのだ。
 よって、母親も一緒。なのに、悲壮感がまったくない。
 妹はデパート生活を楽しんでいるし、母親も「悪いことは
 していない。」と開き直っている。あまつさえ、デパート内で
 友人まで作ってしまう。 
 たったひとり、心配性のリビーだけが将来を憂い
 明日のことを考え、心臓に悪い毎日を送る。

 少し考えなしで、でも子供たちへの愛情はたっぷりと
 ある母親と、そんな母親の欠点を認めながらも
 信頼と愛情を寄せている娘。この構造がとても暖かい。

 デパート生活は長くは続かない。
 思わぬ理由でその生活にピリオドが打たれる。
 その結末に心が温かくなることうけあいだ。
 原題は「世界で一番素敵な場所」だそう。
 そちらの題名のほうがこの作品にぴったりだと思う。

誰が何と言おうと親子丼

2006年12月10日 21時48分51秒 | 日常生活
毎週、教会の礼拝が終わった後は
みんなでお昼ご飯を食べて帰ります。
週代わりで当番さんがいて、
食事の準備をしてくださっているのです。

本日ははじめての愛餐(お昼ご飯)当番でした。

・・・と、言っても30人分のお昼ご飯だなんて
ご飯を何合炊けばいいのかも分からんっ!
何を作ればいいのかも分からんっ!
と、途方にくれているのを見かねて
頼もしい友人が手伝ってくれることに。
正確に言うと、見かねて友人が料理をしてくれることになり
のりぞうはおとなしくお手伝いをしました。

メニューは手早くたくさん作れるから、
という理由で親子丼に決定です。
前々日、材料をすべて購入してくれた友人。
当日、酒とみりんのみ持って行くのりぞう。
到着後、てきぱきと材料をそろえ始める友人。
米20合を計るうちに、
今、自分が何合入れたのか分からなくなるのりぞう。
玉ねぎをどんどこ切っていく友人。
米20合分のお水の量が今ひとつ分からず
途方にくれるのりぞう。
鍋に水をわかし、切り終わった材料を
ざかざか入れていく友人。
味見をしすぎて、味が分からなくなり
逆切れしながら「これでよか!」と開き直るのりぞう。

大騒ぎしながら、友人の足を引っ張りながら
初めての愛餐当番を終えました。

本日の愛餐への評価コメント。
「うん。ツユはおいしいね。」
「これ、だしは何でとったと?
 具がどこにも見えんけ、分からんけど。」
「今日のお昼ご飯は材料費、かかってないんやない?」
「これ、親子丼?親の姿が見えんのやけど。」

・・・・ええっと。親子丼です。
誰が何と言おうと親子丼です。

食べ終わった後、残った汁が勿体無いと思い、
家に持って帰ってこの汁で煮物を作ろうと
たっぱに移したところ、鍋の底にみんなが捜し求めていた
親の姿がごろごろしてました。
のりぞうがありがたく家に持ち帰りました。

教訓。
 親子丼を作るときは、全体をかきまぜるべし。
 どんぶりの中で、親と子どもと両方の姿を確認してから
 みんなに出すべし。
 親の姿が足りなくなったときは、開き直って
 「卵丼」と言うべし。

次の愛餐当番が楽しみです。

孔雀狂想曲/北森 鴻

2006年12月10日 21時12分43秒 | 読書歴
■ストーリ
 いつも開店休業状態の下北沢の骨董屋・雅蘭堂。
 でも人々の思いのこもった「モノ」をめぐって
 事件が起きれば、雅蘭堂主人は名探偵となって
 謎を解決するべく動き始める。

■感想 ☆☆☆
 またまた北森さんの作品である。
 すっかり北森さんの世界に入り込んでいる。
 私にはまったく縁のない世界をミステリと絡めて
 面白おかしく、そして興味深く見せてくれる。
 ミステリだけを楽しむのではないお得感に
 はまっているのかもしれない。
 
 骨董の世界という胡乱な世界を渡り歩くために必要なのは
 骨董の知識、骨董への愛情、そして好奇心。
 一筋縄ではいかないバイヤーとのやり取り
 裏や含みがある知的な会話の数々は
 骨董の世界では若輩者だという店主の
 癖のあるモノの見方、ひねくれものの性格が
 よく表れていて、にやりとさせられる。
 「いい人」ではない。けれども「骨董」へのこだわり
 愛情はとても暖かい店主が魅力的な作品だ。