太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

老後

2013-05-02 09:33:22 | 日記
日本のテレビ番組で、

5人の70歳前後の女性が長屋風の家を買い、共同生活をしているのを紹介していた。

1件30坪の家が4つ並んでいて、3人が1件づつ、二人が1件を半分に分けて住んでいる。

それぞれに台所はついているが、三食は一緒に食べる約束。

食事当番もないし、食材などを買う資金は1箇所にあって、減ってきたら誰かが足すというどんぶり勘定。

私生活には干渉しないのがルールなのだそうだ。

5人の中の一人がボス的存在で、すべてを仕切っているように見えた。




若い頃、よく友人たちと、老後は共同生活をしたいねと話していた。

連れ合いに先立たれたあと(まだ結婚もしていないのに、勝手に先立つことになっている夫)

嫁に気を遣いながら肩身の狭い思いをするよりも(子供を生むかもわからないのに、嫁がいる設定)

気のおけない仲間と1件の家で仲良く暮らすのは、とてもいい考えだと心底思っていた。



しかし、実際「その時」が手に届きそうな年齢になってみると、

それは必ずしもいい考えだとは思えなくなってきたのである。



前述の5人の女性は、テレビカメラの前では一つのテーブルに座ってお茶を飲み、

楽しげに笑っていたけれど、本当に満足しているのか?

と勘ぐるのは、私の根性がゆがんでいるのだろうか。




どんなに親しいと思っている友人同士でも、

近くにいすぎたら、いろいろと出てくるのではなかろうかと思う。

この人しかいないと思って結婚した相手ですら、うまくやってゆくのは困難だったりする。

ましてや女同士。

【あの人最近食事を作る回数が少ないわよね】【お金を足しているのは私だけじゃない?】

【せっかく作ったのに、あの人は外食するんだって、私の食事が口に合わないのかしら】

【一人でいたいけど、挨拶に出ないとまずいかな】

そんな日々の些細な不満が、だんだん怪物のように巨大化してゆくのではないかと想像してしまう。

そしてその不満の怪物は、共同生活を乱してはいけないという理性によって抑えられ、

行き場をなくす。


時にはせいせいと一人で食事をしたい日だってあろう。

誰とも会いたくない日もあるし、

なあんにもしないで1日中パジャマでダラダラしたい日だってある。



私生活には干渉しないのがルールであっても、

私感情はどうすることもできないではないか。




年齢とともに、友人のありがたみは増してくる。

大事なればこそ、適度な距離を保っていたいと思うのだ。

といっても、いかんせん日本とハワイでは遠すぎる。

友人たちが、ハワイに越してきてくれて、スープの冷めない距離に住んでくれたら完璧なんだけど。

日本にいたとき、会いたければすぐに、東京に住む友人とですら

会おうと思えば数日のうちに会えたことを懐かしく、かつ、ありがたく思い出す。





老後の共同生活が、さぞ楽しかろうと信じていた私は、

純粋でもあったし、無知でもあった。

それが若さというものなんだろうけれど。









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