最近、ハワイで「そろばん」が人気らしい。
けんだまに続いてそろばんの時代が復活か?
先週あたりに、新聞の1面でとりあげられていたのは、
日本人の男性が、そろばん塾を開いていて、それが人気だという記事。
日本語クラスのときに、生徒(8歳・女子)が
「ねえ、そろばんの記事、読んだ?」
「読んだよ、なんで?」
「わたし、今、1番恐れていることがあるんだけど、何かわかる?」
「はは~ん、そろばん塾に行かされるんじゃないかってことでしょ」
すると生徒は頭を抱えた。
「そうそう、そう、そうなんだよーー・・・・・・。
ママがどうかサインアップしませんようにって、寝るときに神様に頼んでるの」
「それを頼むなら神様じゃなくてママにすればいいのに」
「ママに頼んでやめてくれるぐらいなら神様に頼まないよ。
目に浮かぶ気がする。『ハイ、私、ステファニーといいますけど、うちの娘を入れてもらえません?』」
生徒はシナを作ってママの口真似をした。
「そろばんやると計算機を使わなくて済むよ」
「一生、計算機使ってもいいもん」
帰り際、母親のステファニーに聞いてみた。
「そろばん、やらせる気?」
「そうよ、今日、塾に電話したもの」
生徒が後部座席で死んだふりをしている。
「本人はやりたくなくて神様にお願いしてるみたいだよ」
するとステファニーは不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ。子供が何と言おうと関係ないわよ。やらせたかったら、やらせる、それだけよ」
私が日本語を教えるのを辞めたあと、引き継いで教えてくれる人を見つけたというから、
日本語に合気道、公文にそろばん、子供は忙しい。
まだ死んだふりをしている生徒に言った。
「大変だけど、ちゃんとやったら大人になってママに感謝すると思うよ」
「今、感謝したい・・・・・」
死んだふりのまま、つぶやいた。
私も子供の頃、楽しく習い事や塾に行った覚えはあまりない。
私の母は、それほど教育ママではなかったから、習い事といったってピアノと習字ぐらいのもので
それでも、練習が嫌だったり、行くのが嫌だった。
そういえば幼稚園のときに、少しだけ「こども英語教室」に行ったこともあった。
母親と一緒に参加するもので、私が覚えているのは、教科書にしていた本の絵がきれいだったのと
生まれて初めて食べた「ピザ」の美味しさだけだ。
もっと成長してからは、「今しっかり勉強しておくと、大人になってからラクだよ」
と言われたものだけれど、
果たして大人になった今、あの頃もっと勉強しておけばよかった、と後悔する場面はいまだない。
でも、もっと真面目にピアノを長く続けていたら、ぽろぽろっと素敵に弾けるようになったのに、とは思う。
楽譜は読めても、美しく優雅に弾けない。
今、家にあるピアノで「月光」を弾いてみても、途切れ途切れで、月光だかなんだかわからない。
パーティのときに、夫の友人が即興でいろんな曲を弾いてくれるのをみて
そのときだけは、勉強を理由にピアノを辞めた自分を恨めしく思う。(かといって勉強もしなかったからね)
子供にほんとうに何が必要なのかは誰にもわからないけれど、
大人になって何かを選ぶときに、選択肢が増えたらいい、と親は思う。
そしてその親の思いは、代々、ずっと子供には理解されないものなのだろう。
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けんだまに続いてそろばんの時代が復活か?
先週あたりに、新聞の1面でとりあげられていたのは、
日本人の男性が、そろばん塾を開いていて、それが人気だという記事。
日本語クラスのときに、生徒(8歳・女子)が
「ねえ、そろばんの記事、読んだ?」
「読んだよ、なんで?」
「わたし、今、1番恐れていることがあるんだけど、何かわかる?」
「はは~ん、そろばん塾に行かされるんじゃないかってことでしょ」
すると生徒は頭を抱えた。
「そうそう、そう、そうなんだよーー・・・・・・。
ママがどうかサインアップしませんようにって、寝るときに神様に頼んでるの」
「それを頼むなら神様じゃなくてママにすればいいのに」
「ママに頼んでやめてくれるぐらいなら神様に頼まないよ。
目に浮かぶ気がする。『ハイ、私、ステファニーといいますけど、うちの娘を入れてもらえません?』」
生徒はシナを作ってママの口真似をした。
「そろばんやると計算機を使わなくて済むよ」
「一生、計算機使ってもいいもん」
帰り際、母親のステファニーに聞いてみた。
「そろばん、やらせる気?」
「そうよ、今日、塾に電話したもの」
生徒が後部座席で死んだふりをしている。
「本人はやりたくなくて神様にお願いしてるみたいだよ」
するとステファニーは不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ。子供が何と言おうと関係ないわよ。やらせたかったら、やらせる、それだけよ」
私が日本語を教えるのを辞めたあと、引き継いで教えてくれる人を見つけたというから、
日本語に合気道、公文にそろばん、子供は忙しい。
まだ死んだふりをしている生徒に言った。
「大変だけど、ちゃんとやったら大人になってママに感謝すると思うよ」
「今、感謝したい・・・・・」
死んだふりのまま、つぶやいた。
私も子供の頃、楽しく習い事や塾に行った覚えはあまりない。
私の母は、それほど教育ママではなかったから、習い事といったってピアノと習字ぐらいのもので
それでも、練習が嫌だったり、行くのが嫌だった。
そういえば幼稚園のときに、少しだけ「こども英語教室」に行ったこともあった。
母親と一緒に参加するもので、私が覚えているのは、教科書にしていた本の絵がきれいだったのと
生まれて初めて食べた「ピザ」の美味しさだけだ。
もっと成長してからは、「今しっかり勉強しておくと、大人になってからラクだよ」
と言われたものだけれど、
果たして大人になった今、あの頃もっと勉強しておけばよかった、と後悔する場面はいまだない。
でも、もっと真面目にピアノを長く続けていたら、ぽろぽろっと素敵に弾けるようになったのに、とは思う。
楽譜は読めても、美しく優雅に弾けない。
今、家にあるピアノで「月光」を弾いてみても、途切れ途切れで、月光だかなんだかわからない。
パーティのときに、夫の友人が即興でいろんな曲を弾いてくれるのをみて
そのときだけは、勉強を理由にピアノを辞めた自分を恨めしく思う。(かといって勉強もしなかったからね)
子供にほんとうに何が必要なのかは誰にもわからないけれど、
大人になって何かを選ぶときに、選択肢が増えたらいい、と親は思う。
そしてその親の思いは、代々、ずっと子供には理解されないものなのだろう。
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