太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

やっぱり願いは叶っている

2014-07-22 07:38:36 | 日記
マンゴーが食べたい、と言ったら海からマンゴーが流れてきた、

という話は書いた。(その記事はコチラ

願いは叶う話をもうひとつ。




最近、ようやく気づいたことがある。



【ありがたみに気づかないで暮らすのはつまらない】


え、そんなこと?なんだけど。

なにもかもがスムーズに手に入ってしまったら、

そのありがたみに気づくのは難しい。

もし私が、最初の恋愛でうまくいき、そのまま結婚し、子供を持ったら

今の私はいないだろう。

それは状況としての今というよりも、わたしという人間は、もっと違うものだったと思う。



私たち姉妹は、妹を除いて晩婚で(当時の基準の晩婚ね)

なかなか嫁にいかない娘を心配した両親が、3姉妹で出雲大社に行ってくれ、と懇願したほどだ。

(あの小旅行は楽しかった)

結婚したくないわけじゃないが、なかなか結婚に至らないのはどうしようもないことで

それは本人が1番苦しい。

それなのに、「どうして結婚しないの?」とあけすけに聞く人達がいる。



ようやく結婚したらしたで、誰も彼もが子供に恵まれるとは限らない。

生みたくないわけじゃないが、なかなかそうならないのは、これまたどうしようもないことで、

それなのに「どうして子供を生まないの?」と聞く人達がいる。



とりたてて深い意味があって聞くのではないことはわかる。

でも、意味があってもなくても、その渦中にいる人には酷なことには違いない。

もしもその人達が、結婚や出産で苦しい思いをしていたら、たぶんそういう質問は出てこないのではあるまいか。

苦しい体験をしたら、苦しいところにいる人の気持ちを想像できる。

同じ体験をしていなくても、想像できる人だってたくさんいるけれど。

私はそういう人でありたいと思っているけれど。





私にはこんがらがった恋愛がいくつもあって、

次々に恋愛をして、結婚していく人達を見て、

どうして私は普通にいかないんだろう、と思っていた。(その人達にだっていろいろあるにしても)



ようやく結婚したと思えば、そこはまた別のこんがらがった場所で、10年余の末、離婚した。

何かが起きるたび、私は新たな自分を知ることになる。

結婚に失敗しても、また結婚をしたいと思っている自分に驚いたのだ。

離婚してみて初めて、何度も結婚をする人の気持ちがわかった気がした。





理想の人に巡り合って、おもいもよらずハワイに住んで

すべてが順風満帆かといえば、そうでもない。

ふるさとでありながら、ハワイに馴染めなくて、日本に戻りたい夫と

ハワイに残りたい私。

夫の転職、無職の期間、夫のウツの日々。

私の職場の人間関係に悩む日々。


ようやく、私の職場での問題が消え去り、

夫が願ったとおりの仕事に就くまで3年かかった。



最初から理想の仕事に就くことができて

無職のつらさや、ウツの日々という体験がなかったら

今ほど毎日ありがたみを感じて生きることはなかったに違いない。

夫が楽しそうにしているのを見るだけで「かみさま ありがと!」と思わずにいられない。


やりがいのある仕事があり、普通に収入があって

心身ともに健康であることが、どんなに「在り 難し」ことか。




今は毎日毎日、「かみさま、ありがと!」で埋め尽くされる。

自分の人生に起きたすべてのことが、カチリと音を立てて、収まっていく。

あー、あれでよかったのだ、と思う。





ありがたみに気づいて暮らすのは楽しい。

これが当たり前だと思って暮らすよりも、ずっと楽しい。

私は、この気持ちを味わうために、

さまざまな『うまくいかないこと』を自分に用意してきたのではないかと思う。

ということは、どんな願いも叶っているということだ。



辛い状況にあるときに、状況や他人を恨み、やみくもに心配し、自分を嫌えば、人生はそういう方向に進んでゆく。

恨んでも心配してもいいけれど、そこから抜け出す努力をすれば、

人生はちゃんとそっちのほうに進路を変える。




やっと今、そのことが身をもってわかりかけてきた。








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