太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

昭和

2015-10-28 08:40:46 | 日記
ジブリの映画をみていたら、火の用心の見廻りのシーンがあった。

「子供の頃、同じように火の用心の見廻りあったよ」

と私が言うと、夫が大げさに驚いた。

「わーぉーーーッ!他には何があった?」

なにがって言われてもなあ。



「魚屋さんが来たね、ポンポンに乗って」

「ポンポン?」

「バイクだよ、新聞屋さんなんかが乗る業務用みたいなやつ」

魚屋さんは「うおつるさん」と言って、日に焼けた長い顔が、かつお節みたいだった。

魚や蒲鉾、ハンペンなんかをポンポンに乗せて家々をまわる。


たまごも売りに来た。

もみ殻に埋まった卵を、年季の入った測りで測る。

そのもみ殻の中の卵が、とても大事なものに見えた。


豆腐屋さんもラッパを鳴らして来た。

豆腐屋さんは家々を回らず、声をかけられたら止まる。

だから、ラッパが聞こえたら鍋を掴んで飛び出すのだけれど、

大抵もたもたして間に合わない。

だから近くの豆腐屋に買いに行くことが多かった。

タイルで作られたお風呂のような入れ物の中の、

なみなみと張られた水の中に豆腐が沈んでいる。

店のおじさんが、その水の中に手を入れて豆腐をすくう、その仕草が大好きで、

私は豆腐を買いに行くのが好きだった。

その頃の夢は豆腐屋になることだったぐらいだ。


夫は目を輝かせて聞いていたが、ロバのパン屋のくだりで悲しげになった。





そういえば、近所の幼馴染の家には、まだ土間もあり、カマドでご飯を炊いていた。

その頃は我が家も羽釜でご飯を炊いていたけれど、ガスレンジだったと思う。

羽釜で炊いたご飯の、あの甘い香りは、今でも私の記憶に残っている。


幼馴染の家で遊びほうけて遅くなると、お風呂をもらった。

お風呂場の床はコンクリートで、その上に脚の長いスノコを置き、

湯船は木でできていて、大きな樽のようだった。

木桶に汲んだお湯を体にかけると、ジャージャーと豪快な音をたてて

お湯がコンクリートの床に落ちた。




近所の公園に行くと、紙芝居をやっていて、

お金を払うと、イカせんべいみたいな駄菓子をくれた。



「すごいな、すごいな。そういうの、書き留めておくといいよ」

夫が子供の頃、日本の影響で、駄菓子的なものを売りにくる車があったらしい。

しかしそれも数年で姿を消してしまった。

日本に住んでいた時に、夫が焼き芋やわらび餅、ラーメンの屋台が異常に好きだったのは

そういう売り方の文化が、ものすごくエキゾチックに見えたからだろう。




夫に言われるままに、昔のことを思い出していたら、

年をとったら絶対に言うまいと決めていた台詞が口をついて出そうになる。

「昔はよかった」

でも、私はせめて、こう言おう。

「昔も、よかった」



クラス名簿というものが、まだあった。

電話がない家は少なかったが、それほど珍しいわけでもなく、電話番号の横に

(呼出)

と書かれていた。

「それ、何?」

「隣の家とか、電話がある家に電話を取り次いでもらうんだよ」

「…なんだか、戦後すぐみたいな話ばかりだね…」

失礼なッ。



ジブリの映画の中で、部屋に蚊帳を吊っていた。

「あれね、蚊が中に入らないようにするネットなんだよ」

「すごいなあー!」

蚊帳は、見た目よりもずっと重みがあって、

毎晩、四つ角を壁に吊るすのは大仕事だった。

当時、エアコンなんかどこの家にもなかった。

今ほど夏が暑くなかったのは本当かもしれないが、二番目の叔父が京都の大学に通っていた頃

あまりに暑くて眠れず、下宿の外に出て道の上で寝た、というから

やはりそれなりに夏は暑かったのかもしれない。



蛍だって、いくらでもいた。

ハワイには蛍がいない。

でももしハワイが蛍の棲息に適していたら、郊外には今もいるのではないかと思う。

実家の家の前には小さなドブ川があって、そこにはザリガニも蛍もいた。

ときどき蛍を捕まえて、蚊帳の中で放すと、ほんのり光ってきれいだった。

近所の家の、木でできた雨戸の節から部屋の明かりが漏れているのが、

ちょうど蛍の放つ光にそっくりだった。






夕方になると、路地に魚を焼く匂いや、ご飯が炊ける匂いが甘く漂う。

痩せっぽちの私が、夕暮れていく中で自転車に乗る練習をしている。

家の前の砂利道を掘って、ビー玉を探している。

にしきのあきらの歌がテレビから流れてくる。

日曜夜の「山ねずみロッキーチャック」が楽しみだった。

携帯電話もパソコンもなかったけど、あれはあれで結構楽しかったかも。




魚屋さんも、蛍も蚊帳も、羽釜のごはんも、電話がない家も

今は姿を消してしまった。

それを寂しいと思うのは、私がそれを知っているからで、

私の知らないものを失ったことで寂しいと思った人たちもいたはずだ。

そうやって時代は変わってゆくのだろう。






ここで一句。


なつかしの 昭和は遠くになりにけり


あはは、ありきたり。おそまつさま。






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