太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

9月1日

2018-09-01 07:56:09 | 日記
子供の頃、1年で1番好きなのは大晦日とお正月で、1番嫌いなのは9月1日だった。

大晦日とお正月は、夜中に初詣に出かけたり、朝風呂に入ったり、

子供にとって非日常が盛りだくさんのイベントだ。

9月1日は夏休み明けの初日で、憂鬱なことこのうえない。

私の場合、夏休みが終わってしまったという残念さよりも、

溜めに溜めた宿題を一気に仕上げた、ラスト1週間の心身の疲れのほうが勝っていた。


夏休みが7月20日すぎから始まると、私は毎年、宿題の予定表を作った。

これから始まる夏休みに心は浮かれ、それはそれは美しい予定表ができる。

予定表では、ほとんどの宿題は7月中に終わり、8月はのんびりと過ごすことになっている。

しかし、私は毎年、9月まであと数日というところになって泣きながら宿題をやる。

私はこれを、ばかみたいに毎年繰り返すのである。




7月中は、余裕にまみれている。

8月も一桁のうちは、まだ時間はたっぷりあると思っている。

8月半ばのお盆の頃になると、心に暗雲が現れるが、ただそれだけである。

登校日(8月21日)に提出する宿題を、やっと始めるのがお盆すぎ。

登校日のあと、やらなければならない宿題の量を、残された日数で割ってみて、気分はどん底になる。

祖父に宿題の凧を作ってもらったこともあった。

夏休み中に担任の先生にハガキを出す宿題を8月30日に思い出し、

さんざん叱られながら、父の車で先生の家まで行き(1時間以上かかった)、家の郵便受けにそっと入れた。

9月1日に先生が「1枚だけ消印のないハガキがありました」と言ったとき

私はその場で消えてしまいたくなった。

それなのに次の夏休みも、同じように最後に泣く。

泣きたくなければ、こつこつとやればいいだけのことだ。

それができる子供もいたはずなのに、私にはそれができない。




どうしてここまで、宿題が嫌いなのか。

そんなに嫌なのに、かといって、やらないという勇気の選択もまた、私はできないのだった。



大人になって、長い夏休みもなくなったが、宿題もなくなってこんな幸せなことはない。

それなのに、いまだに9月1日になるたびに、私の中のどこかがキシリと音をたてる。

小学1年から高校3年までの12年間にしみついた憂鬱の癖は、私の芯までしみているんだろうか。




ハワイは今日、9月1日だ。

今年もまた、宿題をやらなくていい幸せと、泣きながら宿題をやったあの日々が、ほろ苦くよみがえる。





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