太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

別の世界のわたし

2018-09-18 20:22:33 | 日記
朝、ウォーキングするときにたまに会う、年配の日本人女性がいる。

ムームー(死語?)を着て、ラブラドール犬を連れて、ふくぶくしくいつもにこにことしている。

日本語を話せる機会でもあり、いつも私から挨拶をするようにしている。

おはようございます、と言い、軽く会釈をする。

そうすると、その方もゆっくりと おはようございます と言う。

ただそれだけだが、日常生活において会釈をするなどということは皆無であり、

この貴重な日本式挨拶の時間を、実は私は楽しみにしている。

お辞儀をすると、からだの中心にスーっと1本線が通り、すがすがしい気持ちになることに

お辞儀をしなくなってから気づいた。



ある朝、その方に挨拶をして通り過ぎようとしたら、声をかけられた。

「おこさん、いくつぐらいになられました?」

ほんの一瞬、言葉の意味を考えてから、つとめてにこやかに言った。

「子供はいません」

「あぁ、生まれたと思っていたんだけれど・・・」



しばらく時間がたって、そのときのことを思い出した時、

今私が体験している、この現実以外に、「子供が生まれたわたしの世界」があるのだろうなと思った。

その世界でも、その人はいて、私と会っている。

そんなパラレルワールドを、私はなぜか信じている。

たった一人の私が、たったひとつの人生を生きていると思い込んでいるこの世界も、

ほかの世界のわたしからすれば、たくさんの可能性の現実のひとつでしかない。




もし私の子供が生まれていたら、12歳になる。

自分自身のことで手一杯の私が、別の世界でいったいどんなシッチャカメッチャカしながら子育てしているのだろう。

子供というのは、自分の嫌な部分を目の前に突きつけられているようであったり、

ほんとうに私が産んだのかと思うようであったりするのだろうか。

ハワイでは言われたことがないが、日本で「子供がいない」というと

「寂しいでしょう」

と言われることが、たびたびあった。

かつて1度も体験したことのないことに対して、寂しさを感じようがないではないか。

心のうちではそう思いつつ、でもそれを言うのも無粋だし、適当に苦笑いして済ましていた。

子供がいる人にとっては、子供がいない生活は寂しいに違いない。




子育てをしている友人達や姉妹がもつ幸せも辛さも私は知らないけれども、

それはそれで仕方がない。

子供を産むことと、産まないことを、ひとつの人生で体験することはできないのだから。






今朝、またニコニコの日本人女性に会った。

子育てをしているアッチの世界の私は、眉間にシワよせて髪の毛振り乱してたでしょね。

心の中でそう思ったら、なんだか笑けてきた。













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