本棚を整理していたら、数年前に本屋で働いていたときに買った、生活雑誌が出てきた。
人々の生活をとりあげていたり、レシピが載っていたりする「天然生活」という雑誌だ。
私はファッション雑誌は一切読まないが、こういう生活雑誌は好きだった。
2010年の古雑誌だが、思わず懐かしくなって買ったのだった。
特集は主婦の朝時間。
特集の最初に、雑貨屋を営む女性の暮らしが紹介されている。
家族が寝たあとの夜の12時に、その人は明日着る服をイラストに描き、
服をハンガーに吊るしておく。
コーディネートのイラストの横には、お弁当のおかずも書き出されている。
「これを毎日やらないとダメなんです」。
朝すぐにご飯を詰められるように、弁当箱はキッチンのカウンターに出す。
5時半に起きて、洗濯機をまわしながらお弁当のおかずを作る。
塩鮭とひじきの煮物、ふっくら焼いた卵焼き、ブロッコリーなどが色どりよく詰まったおいしそうなお弁当。
子供と夫の朝食を用意し、お弁当を持たせて送り出す。
洗濯機を3回まわすあいだに、掃除をし、自分の朝食を食べる。
いかにも雑貨屋をやっている人らしく、食器も何もかもがあたたかみのあるシンプルなものばかりだ。
なぜ、この古雑誌を買ったのか覚えている。
そこに、かつての自分の姿を見たからだ。
今の私ときたら、朝食は毎日用意するものの、来る日も来る日も、フルーツと卵とソーセージ、チアシード入りのマカダミアナッツミルク。
夕飯を作るのは週に数回。
献立は二人で考えるが、買い物も掃除機をかけるのも夫。
お弁当は100%夕飯の残りで、夜のうちに弁当箱に詰めて冷蔵庫に入れておく。
こんないいからげんな生活をしている私にも、ていねいに暮らしていた時代があったのだ。
今の私を知る人は絶対に信じないと思うけど。
最初の結婚時代、私は毎日食べたものを細かくノートにつけていた。
何品目の食材を食べたかも数えて書くという念のいれよう。
食器も家具もタオルもすべて、気に入ったものばかりで、家を建ててからは庭にも
ラベンダーなど好きな花を植えた。
結婚した相手は食にうるさい人で、朝にご飯が続くのもパンが続くのも嫌で、
夕食は4品から5品のおかずが並ばないと不機嫌になった。
私は1本のキュウリを半分酢の物にして、残りは翌日のサラダに入れたり、
ひじきを煮たら、半分は翌日にコロッケに混ぜるなど工夫をして品数を増やしていた。
フルタイムで仕事をしながら、発酵器まで買って自分でパンを焼いた。
あの気力は、いったいどこからきていたのだろう。
なんのために、なにを守ろうとして私はあんなに必死だっただろう。
或る日突然ブチ切れて家を出て、身の回りのものだけをまとめて実家に行き、数回着替えを取りにいっただけで
私がその家に戻ることはなかった。
毎日書き続けた11年分の献立ノートも、1枚ずつ集めた食器もタオルも何もかも置き去りで。
計画的に家を出たわけではなかったが、そのときリビングから見た庭は見事に荒れ果てていた。
それらは結婚そのものと同じに無意味だったのか、と少しだけ思って、考えるのをやめた。
誰に褒められることもなかったけど、今、私がかつての私を褒めてあげよう。
雑誌の中の、好きなものに囲まれて丁寧に暮らす人たちが、8年たった今も同じように幸せに暮らしているといいなと思う。
その号のレシピは、『洋食屋さんのスパゲティ』で、カルボナーラやたらこスパゲティの
食欲をそそる写真がこれでもかと並んでいる。
あー、おいしそうだなーと思うが、思うだけ。
似たようなパスタを夫かシュートメに作ってもらおうと思っている、この私が、たぶん私の本質ではないかと思っている。
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人々の生活をとりあげていたり、レシピが載っていたりする「天然生活」という雑誌だ。
私はファッション雑誌は一切読まないが、こういう生活雑誌は好きだった。
2010年の古雑誌だが、思わず懐かしくなって買ったのだった。
特集は主婦の朝時間。
特集の最初に、雑貨屋を営む女性の暮らしが紹介されている。
家族が寝たあとの夜の12時に、その人は明日着る服をイラストに描き、
服をハンガーに吊るしておく。
コーディネートのイラストの横には、お弁当のおかずも書き出されている。
「これを毎日やらないとダメなんです」。
朝すぐにご飯を詰められるように、弁当箱はキッチンのカウンターに出す。
5時半に起きて、洗濯機をまわしながらお弁当のおかずを作る。
塩鮭とひじきの煮物、ふっくら焼いた卵焼き、ブロッコリーなどが色どりよく詰まったおいしそうなお弁当。
子供と夫の朝食を用意し、お弁当を持たせて送り出す。
洗濯機を3回まわすあいだに、掃除をし、自分の朝食を食べる。
いかにも雑貨屋をやっている人らしく、食器も何もかもがあたたかみのあるシンプルなものばかりだ。
なぜ、この古雑誌を買ったのか覚えている。
そこに、かつての自分の姿を見たからだ。
今の私ときたら、朝食は毎日用意するものの、来る日も来る日も、フルーツと卵とソーセージ、チアシード入りのマカダミアナッツミルク。
夕飯を作るのは週に数回。
献立は二人で考えるが、買い物も掃除機をかけるのも夫。
お弁当は100%夕飯の残りで、夜のうちに弁当箱に詰めて冷蔵庫に入れておく。
こんないいからげんな生活をしている私にも、ていねいに暮らしていた時代があったのだ。
今の私を知る人は絶対に信じないと思うけど。
最初の結婚時代、私は毎日食べたものを細かくノートにつけていた。
何品目の食材を食べたかも数えて書くという念のいれよう。
食器も家具もタオルもすべて、気に入ったものばかりで、家を建ててからは庭にも
ラベンダーなど好きな花を植えた。
結婚した相手は食にうるさい人で、朝にご飯が続くのもパンが続くのも嫌で、
夕食は4品から5品のおかずが並ばないと不機嫌になった。
私は1本のキュウリを半分酢の物にして、残りは翌日のサラダに入れたり、
ひじきを煮たら、半分は翌日にコロッケに混ぜるなど工夫をして品数を増やしていた。
フルタイムで仕事をしながら、発酵器まで買って自分でパンを焼いた。
あの気力は、いったいどこからきていたのだろう。
なんのために、なにを守ろうとして私はあんなに必死だっただろう。
或る日突然ブチ切れて家を出て、身の回りのものだけをまとめて実家に行き、数回着替えを取りにいっただけで
私がその家に戻ることはなかった。
毎日書き続けた11年分の献立ノートも、1枚ずつ集めた食器もタオルも何もかも置き去りで。
計画的に家を出たわけではなかったが、そのときリビングから見た庭は見事に荒れ果てていた。
それらは結婚そのものと同じに無意味だったのか、と少しだけ思って、考えるのをやめた。
誰に褒められることもなかったけど、今、私がかつての私を褒めてあげよう。
雑誌の中の、好きなものに囲まれて丁寧に暮らす人たちが、8年たった今も同じように幸せに暮らしているといいなと思う。
その号のレシピは、『洋食屋さんのスパゲティ』で、カルボナーラやたらこスパゲティの
食欲をそそる写真がこれでもかと並んでいる。
あー、おいしそうだなーと思うが、思うだけ。
似たようなパスタを夫かシュートメに作ってもらおうと思っている、この私が、たぶん私の本質ではないかと思っている。
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