太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

欠落人間

2022-08-13 11:58:15 | 本とか
黒柳徹子さんの「トットの欠落帖」(新潮文庫)には、徹子さんのおもしろいエピソードが満載。
小学校1年で退学になった徹子さんを「ダメな子」とけして思わず、もっと徹子さんに合った学校を探しまくった母親のことも、私はとても尊敬している。

どの話も、思わず「プっ!」と吹き出してしまうようなことばかり。

上野動物園に中国から来たばかりの狼の写真を撮りたいのだが、狼が協力的でない。
いつもなら、動物に丁寧にお願いすれば言うことを聞いてくれるので狼にも
「すいません、あなたが中国からいらして時差もあることだし、落ち着かないのはわかります。でもちょっと止まっていただけません?あなたは愛嬌があって魅力的だから、写真を撮らせていただきたいの」
と頼んでみたが、相変わらずうろうろと歩き回っている。
日本がまだよくわからないのだと思った徹子さんは、檻の前で中国の京劇の真似をしてみた。
「イー、シェ~~ チェ―ーーー、ツぅ~~~、イーーーーーッ!」
頭のてっぺんから声を出しながら、めちゃくちゃな中国語を声を振り絞った。
物まねを初めて間もなく、元気なくウロウロしていた狼が初めて徹子さんを見て立ち止まった。
狼はうっとりとした表情で、ゆっくり徹子さんに近づいてきて、まるで客席で見ているかのように岩の上に顔を乗せた。
何事かと人だかりができた中で、徹子さんは踊りながらカメラで狼の写真を撮った。

二十歳ぐらいの頃、先輩の結婚披露宴に招待された徹子さんが会場に行ってみたら、ダンナさんになる人が、徹子さんの知り合いだったことに驚いた。
スピーチを頼まれて、なんとか手短に言いたいことをまとめようとした結果、ご存じないでしょうけど新郎とは昔からの知り合いだと言いたかったのを、
「実は新郎と私は内縁関係でございます」
と言ってしまい、会場がざわめいた。
それから何年も、誰からも披露宴に招待されなかった。


森進一さんの結婚式に招待されて(かなり大人になってからだ)、受付で名前を書いていたら、あとから来た人がみんな封筒を出して置いていくので、「それは何ですか」と受付の人に聞いたら「ご祝儀です」という。
私はそれは何か特別の関係の人なのだろうと、帰ってからマネージャーに話したら、マネージャーが驚いて
「黒柳さん、ご祝儀を持っていらっしゃらないんですか?」
「あら、持ってったことありませんよ」
「あらあら、あれで結婚式をするんですよ」といったので悪いことをしたと思った。
あとで「芸能人の結婚式にはご祝儀を持っていくんですってね」と山田邦子さんに言ったら、「いや、普通の人の時でも持っていくもんですよ」と言われた。


私もかなり物を知らず、うっかり喋って恥をかくこと数知れず。
梅の実が熟して梅干しになると思っていて、母を凍り付かせたり、シンガポールのフィリピンと言って、夫を怖がらせたり。

アートセラピストになる学校に通っていたとき、先生が履歴書の用紙を配って、授業が終わるまでにそれに記入しておくようにと言った。私はその時、ピンクのインクのボールペンしか持っていおらず、きれいだしいいや、と思ってピンクで記入したら、「ピンクで履歴書を書いた人は初めて見た」と言われて、返却された。(当時私は40過ぎてた)
実は私は今でも、なぜピンクで書いてはいけないのかはちゃんと理解できていない。


知人と同じファーストネームの人に、何度も連絡をして、相手も間違いと気づかず返事をくれて、何か月もたってからようやく、人違いだと気づいた。


日本で働いていた頃、銀行が閉まる3時ぎりぎり間に合うかどうかの時間に会社を出た。
銀行について車を停めたら、もう3時を過ぎていた。もし閉まってしまったら、裏口にまわって社名を言えば開けてくれるから、と先輩に言われていたので、もうどうせ閉まっていると思い、そのまま裏口に行き、鉄のドアを叩いたが応答がない。
しばらく叩き続けていると、内側からいぶかしがるような声がした。
「はい・・・なんでしょうか・・・?」
私は元気よく社名を言った。解錠する音がしてドアが開き、中に入った私に銀行員が
「あのぅ、次からは正面玄関からお越しくださいませ」
と言うので行内を見たら、まだ正面玄関は開いており、人が出入りしていた。
私の時計が5分ぐらい進んでいたのをすっかり忘れていた。
「あー、恥ずかしくてしばらくあの銀行に行けないから、あなたが行ってよね!」と先輩に言われた。


こんな話を書き出したらキリがない私の人生。
私はどこか重要なネジが抜けているのではないかと思うこともあるけれど、どうにもしようがない。
でも、黒柳徹子さんの話を読んで、上には上がいると胸をなでおろした。


最後に、この本の中の、小沢昭一さんの話をひとつ。
小沢昭一さんが、いろんな高校をまわって独り舞台をしていたとき、ある高校での舞台のあと、数人の生徒が楽屋を訪れた。
その中に、芝居についてとてもいい質問をする子がいて、その子が
「とても素晴らしかったです。かねがね母もファンで、ぜひ見ていらっしゃいというんで来ました」
と言ったので、
「おっ母ァもファンかい?嬉しいねえ!いつか紀伊国屋ホールでやるから見に来てよ」
と言ったら
「いや、なかなかそうもいかないんです・・」
「なに、受験か?いいじゃない、1日ぐらい。必ず来てよ」
「それが、なかなかそうもいかなくて」
「そうかい、まあ、いいや。暑いしね、もう帰って帰って」
そのとき、その生徒が靴を履きながら言った。
「あの、ぼく、礼宮なんですけど・・・」
「ああ、そうかい、おっ母ァに・・・」
その時思い出した。今日は学習院だったことに。