先週、マイクとピクニックランチをしたとき、マイクが言った。
「今度一緒に踊りに行こうよ」
マイクは毎週日曜日に、DUKEに踊りに行くのだ。そんな80歳。
すかさず私は言う。
「絶対に行かない」
「ああ、ワイキキまで出てくるのに遠いしね」
「たとえワイキキの真ん中に住んでいたとしても、行かない」
「えー、なんでぇ?」
「好きじゃないし、楽しくないから」
「踊るのが好きじゃない人なんているの?」
「いるよ、ここに」
「ミュージック聞いたりするの、好きじゃない?」
「それは好きだけど、わざわざ出かけるのは面倒だし、人がたくさんいるところには行きたくない」
私はなぜかマイクの前では、反抗期の子供のように意固地な言い方になってしまう。
年々、自分が何を好きで、何が好きじゃないかがはっきりしてくる。
自分が好きだったり好きじゃなかったりすることを認められるようになる、といったほうがいいかも。
若いころから、人が集まって何かをするということが苦手だった。
気の置けない人と2,3人というのは楽しいけれど、飲み会、パーティ、同窓会、コンパなど居心地が悪い。
それでも二十代の頃は、仕事帰りに勢いで飲みに行ったりもしたけれど、どこかで自分に鞭打っていたような気もする。
最初の結婚時代、相手の部下の仲人を頼まれたり、仕事仲間とBBQをしたり、家に招いたり、ほぼ義務のようにこなしていた。
今の夫と再婚してからは、夫の同僚たち(もちろん全員ガイジン)の頻繁なる飲み会のお誘いが辛かった。
ハワイではそういう同僚同士のつきあいはないけれど、場所が日本だとガイジン同士の結束がそうさせるのか、とにかく何かにつけ、何もなくとも彼らはよく集まって飲んでいた。
私はずっと、そういうことが楽しめない自分を責めていた。
まわりのテンションについていけないのは、私があまりお酒を飲めないからだと思っていたら、
ウーロン茶だけで誰よりハイテンションで楽しんでいる人がいた。
日本を離れたからか、年齢を重ねたからか、好きじゃないものは好きじゃないでいいんだと思えるようになった。
特にパンデミックのあと、それまで月に何度も外食していたのが、何か月かに1度になり、今はそれほど外食したいと思わなくなっている。
幸いなのは、夫も同じだということで、人と会うよりも、二人で海に行ったり料理をしたりして家で過ごすほうがいい。
「一人でも多くの人と知り合いたいと思わないんだよね」
私がそう言うと、マイクが、
「その場だけで楽しめばいいじゃない?」
「いろいろ『フリ』したりするの、面倒だしさ」
「ああ、それは僕もそう思うけど・・それほど好きじゃなくても、まあ好きなフリをしたりはするよね」
「でしょ?人混みで踊るのも好きじゃないし、家で本を読んだり、絵を描いたり、映画見たりするほうがずっといい」
「えー、踊るのが好きじゃない人なんているの?」
かくて振り出しに戻る。