太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

想像もしない人生

2022-08-25 08:06:48 | 日記
少し前に読んだ、黒柳徹子さんの「トットの欠落帖」(新潮社)の中に、グリーティングカードの話がある。
徹子さんは若いころにニューヨークにしばらく住んでいたことがあるそうだ。
そこで、アメリカのグリーティングカード文化に感動したという。
確かにそうだ。アメリカの、カード売り場の広さと種類の多さには驚く。
誕生日やお悔やみ、結婚祝い、母の日父の日、誕生祝いはむろんのこと、誕生日の宛先が、「姉妹」「兄弟」「父」「母」「妻」「夫」「義理の娘」「義理の息子」「甥」「姪」「叔父」「叔母」といったふうに細分化されている。
凝ったデザインも豊富で、選ぶのが楽しい。

ずらりと並んだ素敵なカード類を前にして興奮した若かりし徹子さんは、将来の自分のために、たくさんのカードを買い込んだ。
それは「自分の息子」宛であったり、「最愛の夫」宛であったりした。

それから40年。
何回目かの引っ越しの際に、そのカード類が入った箱を開けてみた。
ほぼ買ったときのまま、使われることのなかったカードを見て徹子さんは「人生は思ったようにはいかないもんね」と思う。


私には徹子さんの気持ちが、とてもよくわかる。
小学生の頃の夏休みの宿題に自由研究があり、私は毎年頭を悩ませていた。
中学生になってから、自由研究からは解放されたが、私は将来の自分の子供のために、自由研究の課題を書き溜めておこうと思った。
それは、市役所やデパートなどにある階段の高さや奥行きを測ってみるとかいったようなものだったが、思いついた課題を書いたノートをずっと大切に残しておいた。

中学生の私は、自分が将来子供を持つことに何の疑いも抱いていなかった。
中学生どころか、二十歳を過ぎても、まだ私は自分が普通に結婚して家庭を持つことが、朝が来て夜になるのと同じぐらい当然のことだと思っていた。
私だけじゃない。友人たちも同じだった。
二十代後半で独身の先輩社員のことを、「理想が高いんだね」などと言ってランチの話題にしていたし、
「子供は3人男で、陸海空という名前をつけると決めている」と言う友達もいた。

あれから40年近くが過ぎ、私たちの誰が、そのとき信じていたような人生を送っているというのだろう。
その時の仲間についていえば、誰もいない、である。
陸海空の友人は、結局1度も結婚をしないで気楽に生きており、一人は不安定な結婚で満たされないものを他に求めてさまよい、私は悲惨な結婚生活のあと、外国に住んでいる。
みんなそれぞれに幸せの形を見つけていることが幸い。


もしかしたら、私は普通にいかないかもしれない、と気づき始めたのは二十代の半ばごろだ。
どうして他の人は普通にいくんだろうか、と素朴に疑問を持ったのは、二十代の後半。
「普通」というのは、二十代前半で恋愛相手と結婚して子供を産むこと。
私のまわりには、その「普通」から外れた人たちでほぼ構成されていて、出会う人もそういう人たちだったから、あるとき父が、
「変な仲間ばっかりとつきあってるから変になる!」
などという暴言を吐いたこともあった。
父は自分の娘も他でその「変な仲間」の一員にされていることには気づかない。


想像していたままの人生を送っている人は、いるんだろうか。
いたら、私は会ってみたい。
将来の子供のための夏休みの自由研究課題ノートは、とっくの昔にどこかに失くしてしまった。