マンゴーが食べたい、と言ったら海からマンゴーが流れてきた、
という話は書いた。(その記事は
コチラ)
願いは叶う話をもうひとつ。
最近、ようやく気づいたことがある。
【ありがたみに気づかないで暮らすのはつまらない】
え、そんなこと?なんだけど。
なにもかもがスムーズに手に入ってしまったら、
そのありがたみに気づくのは難しい。
もし私が、最初の恋愛でうまくいき、そのまま結婚し、子供を持ったら
今の私はいないだろう。
それは状況としての今というよりも、わたしという人間は、もっと違うものだったと思う。
私たち姉妹は、妹を除いて晩婚で(当時の基準の晩婚ね)
なかなか嫁にいかない娘を心配した両親が、3姉妹で出雲大社に行ってくれ、と懇願したほどだ。
(あの小旅行は楽しかった)
結婚したくないわけじゃないが、なかなか結婚に至らないのはどうしようもないことで
それは本人が1番苦しい。
それなのに、「どうして結婚しないの?」とあけすけに聞く人達がいる。
ようやく結婚したらしたで、誰も彼もが子供に恵まれるとは限らない。
生みたくないわけじゃないが、なかなかそうならないのは、これまたどうしようもないことで、
それなのに「どうして子供を生まないの?」と聞く人達がいる。
とりたてて深い意味があって聞くのではないことはわかる。
でも、意味があってもなくても、その渦中にいる人には酷なことには違いない。
もしもその人達が、結婚や出産で苦しい思いをしていたら、たぶんそういう質問は出てこないのではあるまいか。
苦しい体験をしたら、苦しいところにいる人の気持ちを想像できる。
同じ体験をしていなくても、想像できる人だってたくさんいるけれど。
私はそういう人でありたいと思っているけれど。
私にはこんがらがった恋愛がいくつもあって、
次々に恋愛をして、結婚していく人達を見て、
どうして私は普通にいかないんだろう、と思っていた。(その人達にだっていろいろあるにしても)
ようやく結婚したと思えば、そこはまた別のこんがらがった場所で、10年余の末、離婚した。
何かが起きるたび、私は新たな自分を知ることになる。
結婚に失敗しても、また結婚をしたいと思っている自分に驚いたのだ。
離婚してみて初めて、何度も結婚をする人の気持ちがわかった気がした。
理想の人に巡り合って、おもいもよらずハワイに住んで
すべてが順風満帆かといえば、そうでもない。
ふるさとでありながら、ハワイに馴染めなくて、日本に戻りたい夫と
ハワイに残りたい私。
夫の転職、無職の期間、夫のウツの日々。
私の職場の人間関係に悩む日々。
ようやく、私の職場での問題が消え去り、
夫が願ったとおりの仕事に就くまで3年かかった。
最初から理想の仕事に就くことができて
無職のつらさや、ウツの日々という体験がなかったら
今ほど毎日ありがたみを感じて生きることはなかったに違いない。
夫が楽しそうにしているのを見るだけで「かみさま ありがと!」と思わずにいられない。
やりがいのある仕事があり、普通に収入があって
心身ともに健康であることが、どんなに「在り 難し」ことか。
今は毎日毎日、「かみさま、ありがと!」で埋め尽くされる。
自分の人生に起きたすべてのことが、カチリと音を立てて、収まっていく。
あー、あれでよかったのだ、と思う。
ありがたみに気づいて暮らすのは楽しい。
これが当たり前だと思って暮らすよりも、ずっと楽しい。
私は、この気持ちを味わうために、
さまざまな『うまくいかないこと』を自分に用意してきたのではないかと思う。
ということは、どんな願いも叶っているということだ。
辛い状況にあるときに、状況や他人を恨み、やみくもに心配し、自分を嫌えば、人生はそういう方向に進んでゆく。
恨んでも心配してもいいけれど、そこから抜け出す努力をすれば、
人生はちゃんとそっちのほうに進路を変える。
やっと今、そのことが身をもってわかりかけてきた。
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