太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

収穫

2014-07-23 07:18:20 | ハワイの自然


ペットシッターをしている家の庭。



丘の上にあるので、勾配があって、

我が家の庭とはまた趣が違う。

果物のなる木がたくさんあるのは同じ。

パパイヤもバナナも、お店で買わなくてもいい。





その一角に家庭菜園があって、ハーブや野菜が元気に育っている。

今日はトマトと茄子を収穫した。

茄子は見た目は日本の茄子みたいだけれど、皮がすごく厚くて固い。

焼いても煮ても、皮だけプラスティックかと思うぐらいに固いままなので、必ず剥く。

トマトはフルーツのように甘い、甘い。




ハワイでは、思いがけず美しい花を見つけて、ハッとすることが多い。






こんな花、見たことがなかった。




ね、白い袋の先に赤い花。

なんてかわいいんだろ。





これはブルージンジャー。


花は何でも好きだけれど、青い花に特別惹かれるにはどうしてだろう。

ラベンダーも。ジャカランダも。

ジンジャーはとても丈夫な花木で、1本の茎を植えると、1年後にはものすごく増える。







今朝の朝焼け。


ここでのペットシッターも、あと10日。




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やっぱり願いは叶っている

2014-07-22 07:38:36 | 日記
マンゴーが食べたい、と言ったら海からマンゴーが流れてきた、

という話は書いた。(その記事はコチラ

願いは叶う話をもうひとつ。




最近、ようやく気づいたことがある。



【ありがたみに気づかないで暮らすのはつまらない】


え、そんなこと?なんだけど。

なにもかもがスムーズに手に入ってしまったら、

そのありがたみに気づくのは難しい。

もし私が、最初の恋愛でうまくいき、そのまま結婚し、子供を持ったら

今の私はいないだろう。

それは状況としての今というよりも、わたしという人間は、もっと違うものだったと思う。



私たち姉妹は、妹を除いて晩婚で(当時の基準の晩婚ね)

なかなか嫁にいかない娘を心配した両親が、3姉妹で出雲大社に行ってくれ、と懇願したほどだ。

(あの小旅行は楽しかった)

結婚したくないわけじゃないが、なかなか結婚に至らないのはどうしようもないことで

それは本人が1番苦しい。

それなのに、「どうして結婚しないの?」とあけすけに聞く人達がいる。



ようやく結婚したらしたで、誰も彼もが子供に恵まれるとは限らない。

生みたくないわけじゃないが、なかなかそうならないのは、これまたどうしようもないことで、

それなのに「どうして子供を生まないの?」と聞く人達がいる。



とりたてて深い意味があって聞くのではないことはわかる。

でも、意味があってもなくても、その渦中にいる人には酷なことには違いない。

もしもその人達が、結婚や出産で苦しい思いをしていたら、たぶんそういう質問は出てこないのではあるまいか。

苦しい体験をしたら、苦しいところにいる人の気持ちを想像できる。

同じ体験をしていなくても、想像できる人だってたくさんいるけれど。

私はそういう人でありたいと思っているけれど。





私にはこんがらがった恋愛がいくつもあって、

次々に恋愛をして、結婚していく人達を見て、

どうして私は普通にいかないんだろう、と思っていた。(その人達にだっていろいろあるにしても)



ようやく結婚したと思えば、そこはまた別のこんがらがった場所で、10年余の末、離婚した。

何かが起きるたび、私は新たな自分を知ることになる。

結婚に失敗しても、また結婚をしたいと思っている自分に驚いたのだ。

離婚してみて初めて、何度も結婚をする人の気持ちがわかった気がした。





理想の人に巡り合って、おもいもよらずハワイに住んで

すべてが順風満帆かといえば、そうでもない。

ふるさとでありながら、ハワイに馴染めなくて、日本に戻りたい夫と

ハワイに残りたい私。

夫の転職、無職の期間、夫のウツの日々。

私の職場の人間関係に悩む日々。


ようやく、私の職場での問題が消え去り、

夫が願ったとおりの仕事に就くまで3年かかった。



最初から理想の仕事に就くことができて

無職のつらさや、ウツの日々という体験がなかったら

今ほど毎日ありがたみを感じて生きることはなかったに違いない。

夫が楽しそうにしているのを見るだけで「かみさま ありがと!」と思わずにいられない。


やりがいのある仕事があり、普通に収入があって

心身ともに健康であることが、どんなに「在り 難し」ことか。




今は毎日毎日、「かみさま、ありがと!」で埋め尽くされる。

自分の人生に起きたすべてのことが、カチリと音を立てて、収まっていく。

あー、あれでよかったのだ、と思う。





ありがたみに気づいて暮らすのは楽しい。

これが当たり前だと思って暮らすよりも、ずっと楽しい。

私は、この気持ちを味わうために、

さまざまな『うまくいかないこと』を自分に用意してきたのではないかと思う。

ということは、どんな願いも叶っているということだ。



辛い状況にあるときに、状況や他人を恨み、やみくもに心配し、自分を嫌えば、人生はそういう方向に進んでゆく。

恨んでも心配してもいいけれど、そこから抜け出す努力をすれば、

人生はちゃんとそっちのほうに進路を変える。




やっと今、そのことが身をもってわかりかけてきた。








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そんな季節のOBON

2014-07-21 07:11:15 | 日記
ああ、もうそんな季節か、と思う。






こんなサインが増えてきた。


OBON が日本語なら、 踊り も日本語のままにすればいいのにと思うけど

なぜかDANCE。

「踊り」が「ダンス」になると、ちょっとラテンな雰囲気になる。

この日の帰り、ここを通ると、たくさんの人が集まっていた。

浴衣もどきの、はっぴに近いものを着ている人もいる。

日本人らしき人はほとんどいない。

このあたりはフィリピンの人達がたくさん住む地域だからかも。



そういえば、職場の本屋で


「つまみ、あります?(英語で)」


と聞かれた。

つまみといえば、お酒の肴しか浮かんでこない。

料理のコーナーに連れていくと、そうじゃない、つまみだ、と言う。

そう言いながら、頭に手をやる。

「着物を着るときに頭につけるんでしょ?」


着物を着るときに頭につけるもの。


「かんざし?」


「ノー、ノー。つまみ」


かんざしのことを「つまみ」というらしい。

よくわからないけど。






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願いは叶う

2014-07-20 18:18:31 | 日記
日曜の朝、いつものビーチに出かけ

海に入る前に波打ち際を歩いた。

波に足を浸しながら40分ぐらい歩くのは、気持ちがいい。

昨夜、ハワイはトロピカルストームに襲われて、

ひどい雨嵐だった。

波打ち際には、どこから流れ着いたか、ココナツや丸太のような木切れ、

たくさんのマングローブやらが散乱している。



歩きながら、このあとどこに行って何をするか話し合っていて

私が、マンゴーが食べたいから、ファーマーズマーケットに寄っていこう、と言い、

夫が、OK、と言ったときだ。


マンゴーが、海から打ち上げられてきたではないか。


しかも、アップルマンゴーだ。

マンゴーには全体に黄色いやつと、緑と赤の混ざったのと大きくわけて二種類あって

私は黄色い種類は味に癖があって苦手だ。

流れてきたのは赤いほうのやつ。

拾ってみると、どこも傷ついてもいなくて、ちょうど食べごろの色あいで

今さっき木からもいだばかりのように、表面がつやつやとしている。



「願いは叶うんだね、やっぱり!!」



調子にのった私たちは、


「新しいビーチサンダルが欲しい」

「車のカバーが欲しい」

「マフィンが食べたい」

「スケートボードが欲しい」


と口々に叫んでみたのだが、

もちろんそんなものは流れてこなかった。

そんなもんが次々流れてきたらどうしよう。





神様からもらったマンゴーは、持って帰った。

念のため、マーケットでマンゴーを買った。

おそるおそる剥いてみた神様のマンゴーは、今まで食べたどのマンゴーよりも美味しかった。







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因果

2014-07-18 18:53:09 | 日記
私の父は、ささやかな事業をやっていて、

ハワイに来る前、私はそこで総務事務として働いていた。


建設関係の仕事は残業が多い。

夜10時以降は、深夜手当がつく。

あるとき、Aが私に言った。

「Bが仕事のあとで下請けと一杯飲んで、そのあとで会社に戻ってきてタイムカードを押してるんだよね」

AとBは同期入社で、若手の中ではトップで仕事ができて、真面目な社員だ。

それが本当であれば、ゆゆしきことではあるけれど

証拠をおさえているわけでもなし、どうすることもできない。

しかしAは、何度も私に報告し、そのたびに言う。

「僕だけ真面目にやるのがバカみたいだ」

私に言わないで本人に直接言ったらどう?と私は言った。

「絶対にいやだね」




あの頃の私はなんにもわかってなかった。

同族会社に身をおくからには、他人よりも割りの合わない思いをしてちょうどいいと信じていたし、

かつ、全社員にこの会社に入ってよかったと思ってもらえる会社にしたい、

と心底思っていて、そのために私にできることを模索していた。

私は私が何とかしなくては、と勘違いして

AにもBにも満足してもらえるにはどうしたらいいのだろうと苦しかった。

会社の中をよくしようと思って、社員とも喧嘩したし、社長である父のことが大嫌いにもなった。




今なら、わかる。

私は、私のことだけをやっていればよかったのだ。

不真面目な他人を見て、真面目にやる自分がバカらしいという気持ちはわかる。

でも、Aの問題はAのものであって、他人の私がどうにかできることではない。

残業時間をごまかしているBもずるいけれど、

私が同族の一員だから、私に言えばトップに話が通ると期待しているAもズルイのだ。



そして、成敗するのは他の誰かじゃない。

人が蒔いたものを刈り取ることはできないし、その必要もない。





サンダルとボディボードを盗まれ、車のカバーを2回も盗まれて、思った。

盗まれたことはいまいましいが、

盗んだ人達は、必ずその行為をどこかで、なんらかの形で支払わなくちゃならないんだ。

エライこっちゃなァ・・・・





勘違いの理想を掲げて働いていた20年余。

あの頃に今の開き直りがあったら、もっとラクだったのにと思うけれど

公私ともに、あの時代の辛さが、私をこの場所に連れて来たのは確かだろう。

そう思えば、やっぱり無駄なことではなかったのかも。

ま、ちと長かったけども。








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