太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

間に合うの基準

2016-04-21 19:19:40 | 日記
似たような話題を、たしか過去に書いた記憶がある。

それを知りつつ、再びちゃっかり書く。


平日の休み、私は日本領事館に、更新したパスポートを取りに行く用事があった。

その前日に、先週、胃カメラと大腸のスコープをやった病院から留守電が入っていて、

フォローアップの予約をしてくれ、という。

領事館と病院は至近距離にあり、もし同日に行けたら一度に済む。

でも、前の職場で払っていた医療保険が、4月末で期限切れになるので、

行くならどうしても今日か、来週の火曜日しかない。

病院に電話をし、その旨を伝えると、あっさりと今日の2時半に予約がとれた。



私はそのことを夫の携帯電話にメールで送った。

というのも、その夜から夫はフロリダに出張に行くことになっており、

お昼すぎぐらいに帰ってきて準備をすることになっていた。

夫が帰宅したときに私は留守になるので、それを伝えておこうと思ったのだ。

すると、すぐに、

「送ってゆくよl

という返信があった。


一人で行く気満々だったが、そう言ってくれるのならそれもやぶさかではない。


しばらくすると、病院から電話があり、1時半にしてほしいという。

私は今度は夫に電話をかけ、時間が早くなったから一人で行くと言った。

しかし夫は、間に合うように帰るから問題ない、と言う。


正直なところ、さっさと一人で行ったほうがどんなにいいか知れない。


なぜなら、こういう場面を何度となく経験していて、

そのたびに身をよじるような思いをするからである。

でもここで、夫の好意をはねつけることもまた、私にはできない。

かくして、私は夫の帰りを待つことになった。



我が家から病院までは、だいたい40分みたほうがいい。

ということは、12時40分には家を出たい。

出かけるばかりの支度をして、時計をチラチラと見る。

12時10分頃、夫から、今職場を出たから25分で着くという電話があった。



ここで、「あーよかった、間に合う」と安心してはいけない。

夫の言う25分は40分であり、あと5分は20分である。

ちなみに、1日かかった、というのは大体4時間ぐらいのことで、

8ヶ月前、というのは、まあ3ヶ月ぐらいだと思っていい。



案の定、25分が過ぎても戻らない。

時計を見ると、1時5分前である。予定の出発時間を25分も過ぎている。

私は身をよじり、家の中をせわしく歩き、心を落ち着けようにも何も手につかない。

1時、ようやく夫が帰宅。

私はイライラしていたことなどおくびにも出さず、平静を装う。

ところが、このまますぐに出かけるかと思いきや、夫は猫をいじり、

あろうことか着替えてゆくと言い出した。


「なにぃ!!!」   思わず声が出た。

「だいじょうぶだよ、ボクが運転するんだから間に合うって」


着替えた夫と車に乗り、出発したのが1時10分

重ねて言うが、予約は1時半だ。そして我が家からは40分みたほうがいい。

急げば30分で行けるかもしれないが、その病院は建物がいくつもあって複雑で、

前に行ったときも迷ったので、その分の時間も見積もりたい。



快調に車を走らせ、病院の前に着いたのは1時38分だった。


「ね、間に合ったでしょ」


今思い出した。

過去に同じようなことがあったのは、美容院に送ってもらったときだった。

どうしたって間に合わない時間に家を出て、予約の時間にはまだフリーウェイにいた。

次のお客がつかえているのがわかるから、遅れたくない。

私は車の中から美容院に電話をし、少し遅れる、と伝えた。

美容院に着いたのは、予約時間を10分以上過ぎていたが、夫は得意そうに言ったのだ。


「ね、間に合ったでしょ」



ぜんぜん間に合ってねーよ!!!!



というのは心の声。


間に合う、の基準が、夫と私とでは差がありすぎる。

時間がないと焦るのが何より嫌いな私は、そうならないようにいつも時間に余裕をもつ。

前の職場でも、45分あれば着くとは思うが、何かあったときのために1時間以上前に家を出た。





さて、病院の前で私を降ろし、夫は駐車場に車を置いてから後を追う。

やっぱり私は建物を間違って、病院の敷地内を全速力で走り回った。

目当てのクリニックのドアをあけたのが、1時45分。

椅子に座って待っていると、夫が廊下の向こうから、踊りながら歩いてきた。

結局、名前を呼ばれたのは2時を過ぎていた。



あんなに焦らなくても、間に合ったんじゃん・・・・・・



隣で鼻歌を歌っている夫が、心底羨ましいと思うのである。







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ピカケ

2016-04-20 20:00:32 | 日記
ピカケは同僚の一人だ。

ピカケというのは、ハワイ語で「ジャスミン」の意味である。

職場はいくつかのポジションに分かれていて、それぞれ二人ずつ組んで仕事をする。

昨日、一緒に組んだのがピカケだった。



ピカケの第一印象は、「怖い姐御」。

上背もあるが、がっちりとしていて、彫りが深く、もしかしたら純粋に近いハワイアンかもしれない。

笑うと前歯が4本なかった。

「そのうち入れようと思ってんの」

4歳の娘がいるシングルマザーだ。

見た目は怖いが、話してみれば案外かわいいところもある。

お店のコーヒーや、試食のナッツや、誰かが持ってきた食べ物なんかを、逐一持ってきてくれる。

そしてそれを頬張りながら言うのだ。

「私ね、ここで働き始めてからどんどん太っちゃって困ってんの。なぜだろう?

ここに来るまではもっと痩せていたのに」


フォードとトヨタのピックアップトラックが駐車場に入ってくると、ピカケは目を輝かせた。

「うわー!見て!あの車、かっこよすぎる!!いいなあ、ほしいなあ」

持ち主が店内に入るのを確かめた後、

「ねえ、あの車の前で私の写真撮ってくれない?」

「どうすんのよ」

「えへへ、フェイスブックに載せちゃうとか。私の車っていって」

そしてピカケは本当に私に写真を撮らせた。

「だめだよ、フェイスブックに載せちゃ。約束したら撮ってやる」

「わかったわかった、友達に見せるだけだから。ほんと、誓うから」


しばらくして、興奮した彼女が走ってきた。

「あの車、ヒッカムで買ったんだってさ!!」

ヒッカムはミリタリーの基地である。

「あんた、どこで買ったか聞いたの?」

「そ。すごいよねえ、さすがだよねえ、私、あの車に似合うと思うんだけどなあ」

確かに、彼女はそういう車に乗ってサマになる。





「日本ってどんなところ?」

「物価はどんなふう?」

「日本の男の人ってどういう感じ?」

「だんなさんとどうやって出会ったの?」



とどまるところを知らない好奇心を満たすと、思い出したように言った。


「私、今日はクラスがある日だから5時ぴったりに帰らなくちゃ」

「何のクラス?」

「ヒナマウカ」

「ヒナマウカ?」

「そ、週に3日、6時から9時までなんだ」

ピカケは、私がヒナマウカを当然知っているものとして話す。

私はそれが何かわからなかったけれど、何かを学んでいるのだと思い、

「週に3日も夜勉強しているの、えらいわね」

と言った。

「うん、やらなくちゃならないのよ、どうしても」


仕事の合間合間の会話であるので、少しずつ理解を重ねて、

どうやらそれは、何がしかの中毒である人が集まって更正するプログラムであることまで辿り着いた。



アメリカには、そういった施設やグループが驚くほどたくさんある。

アルコール中毒やドラッグ、性的な中毒だけでなく、家族を失った人のための集まりとか、

事故の心理的後遺症を克服する人のグループといったものもあって、そのほとんどはボランティアだったりする。

同じ問題を抱えた人達が集まり、そこで傷を癒してゆく。



ピカケが何の中毒であったのか、聞かなかった。

正確には聞けなかった。

ハワイ島の小さな村で生まれ、オアフ島に出てきて、ボーイフレンドが事故で死に、

そのすぐあとで彼の子供を生んで、

何かに頼らざるを得ないような悲しみが、あったのだろう。

たとえそれが違法なドラッグであったとしても、法はそれを裁くことができても、

そしてそれは愚かなことだと言うことは簡単だけれど、

同じ苦しみを知らない私には裁けない、と思ってしまう。

それは甘いことなんだろうか。



ピカケは車を持っていない。

朝は、同じアパートに住む同僚の車で一緒に通勤してくる。

その日は、閉店時間に団体がたくさん滑り込んできて、その同僚は帰ることができなくなった。

ピカケはクラスに間に合わないので、私が送ってゆくことにした。

顔よりも大きなリボンがついた四角いバッグを抱えて車に乗り込むと、

さっそくラジオをチューニングして、軽快なラップのような音楽を選んだ。

何もかもが、ピカケらしいったらない。


ヒナマウカというのは施設の名前で、我が家から7分ぐらいのところにあった。

その前を何度も通っているのに、そういう施設があることを知らなかった。

夫も、聞いたことがないと言った。

施設には寮もついていて、そこで寝泊りすれば30日で規定のクラスを終えることができるのだという。

しかし仕事があってそれができない人は、ピカケのように何ヶ月もかけて通うしかない。



「ありがとう!!」

ピカケは降り際に私に盛大なキスとハグをして、降りたあと

「アリガトゴザイマース」

と唯一の日本語で叫んで敬礼をした。



私にとって、まったく新しい世界。

まったく新しい人達。

私はここで、どれだけのことを知ってゆくのだろう。







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新世界

2016-04-19 09:36:40 | 日記
さて、新しい職場の話。

一言で言うなら、平和。

初日、大型観光バスが26台、ツアーバスが30台、それに加えて乗用車がひっきりなしだった。

店内に一度に200人いる状態もあった。

それでも最初の1週間は、入り口あたりと外でお客様を迎えるポジションなので、

店内はてんやわんやでも、私だけは平和というわけだ。


澄み渡った青空、心地よい風、走り回る野良の鶏、鳥のさえずり、青々とそびえる山、向かいのファームで放牧されている牛たち、

一面の緑、自然のままの土、風に揺られて木々がたてる音を聞きながら、こういう仕事もあったのだとしみじみ思う。

本屋で、外の温度も天気もわからず、きりきりしながら働いていたのに比べて、

いや、そもそも比べようもないか。

あれはあれで、結構好きだったのだし。

通勤は、10分。その間に信号機が1個。

朝晩1時間かけて通っていたことを思うと、夢のようだ。

しかも朝晩のラッシュとは反対方向で、混みようがない。



マネージャー達も、同僚らも、みな気さくで良い人ばかりだ。

15人ぐらいいる中で、白人は二人、あとは地元の人達。

ハワイに住んでいると、人種を特定するのは困難だ。

ほとんどが、その血のどこかにハワイアンやサモア、フィリピンや日本、ポリネシアなどの遺伝子を持っているといっていい。

だから、肌の色が多少濃くて、顔立ちがはっきりしているというだけでは、単に「ロコ」と呼ぶしかない。



こんな大自然の中にあるから、ランチを買う店なんか1件もない。

だからみんな家からランチを持ってくる。

前の職場では持参派は日本人だけで、他のみんなは外食で済ませていた。

新しい職場のみなさんは、私のランチに興味津々。

「そのランチボックスはどこで買ったのか」

「その緑色のものは何か」

「ごはんの上のものは何か」

お弁当箱は日本のキッチン小物店で買った、木に見せかけた長方形プラスティックの二段重ね。

中身はほぼ夕飯の残りで、あとはしそふりかけのご飯と、必須の卵焼きが入っているだけである。


ほかのみんなのお弁当は、深めのタッパーにご飯がドカっと入っていて、

その上に何か具いりのスープのようなものがかかっているものだったり、

家の近所で買ったらしいパスタランチだったり。



驚くべきは、午後の15分休憩のとき、テイラーが大きなプレートランチを食べていた。

彼女は確か、ランチタイムにここで一緒に食べたはずである。




昨日は、お米の話で盛り上がった。

お米を毎日炊いているのかと聞くので、1度にたくさん炊いて、小分けにして冷凍していると言うと

「おおーーー!!!」

「冷凍して大丈夫なの?」

「ていうか、炊き立てをすぐ冷凍するのが1番風味が落ちないんだよ」

「おおーーーー!!そんなやり方があったなんて!!」メモメモ・・・」

「どのぐらいずつ小分けするの」

「お弁当に入るぐらい」

「おおおーーー!!」

みなさんはどうやってご飯を保存しているかというと、

残りご飯は、タッパーに入れて冷蔵庫に入れる。そうすると乾いてぼろぼろになるから、

食べる前に水をかけてチンする。

やっぱり。

夫の両親も、同じやり方をしていた。




暇といえば、暇。

けれど、たとえばどこかのお店で、ぼんやりとお客が来るのを待っている暇さとは違う。

すべての瞬間、私は自分が知らなかった自分を発見するようで、

それはとても興味深い。

英語漬けはストレスではないけれど、やはり日本語で冗談を言い合ったりするようにはいかない。

だから定期的に日本人の友達と会う機会を作りたいと思う。









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顔文字

2016-04-17 15:44:22 | 日記
何人か、地元の友人とメールをやり取りしている。

そのうちの、普段はテキスト主流の友人に(テキストは、電話番号に直接送るメール。

日本語で何ていうのだろう)、会った時に言われた。

「ね、シロがときどき使うあれ、なにさ?」

聞けば、顔文字のことだった。

「何って、気持ちを現すアイコンだよ」

そう言っても、彼は腑に落ちない顔をしている。

私は携帯電話で顔文字をいくつか出して見せ、

「ほら、これが(^o^)笑ってるでしょ、( ̄^ ̄)ゞこれは威張ってるし、

。・°°・(>_<)・°°・。これなんか泣いてるように見えるでしょ」

「どこが?」

どこって…どう見たってそうしか見えないじゃないか。

Eメールと違ってテキストメールは、チャットやラインみたいにコメントが即座に並ぶ。

返信を打ち込んでいる間に、話題が変わることもある。

だから時間を短縮でき、かつ気持ちを伝えられる顔文字は便利なのだ。

時には文字より効果があることだってある。

文字だけだとキツく受け取られかねない言葉が、(^o^)を付けることで和らぐ。

こんなふうに、相手がどう思うかを気にする心理は、日本的ではある。



その前日、確か私は彼に、♪───O(≧∇≦)O────♪を送った。

三角なのが口で、これが目で、丸いのが拳で…なんて説明したら顔文字の意味がない。

「顔文字って世界共通かと思った」

「似たようなのはあるけど、簡潔だしこんなのはないよ」

日本語の文字パレットには必ず顔文字もたくさん選べるようになっている。

英語でメール文を作る時、わざわざ日本語のパレットに飛んで顔文字を選ぶ。

楽しいからこれから僕も使おう、と言ってくれるかと思いきや、

「なるべく文字で送ってくれないかなあ」

日本人の心を理解しないガイジンめ。

忘れた頃、チョイチョイ送ってやることにする。



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卒業

2016-04-15 21:54:48 | 日記
3年半続けた仕事の、最後の一日は、あっという間に過ぎた。

先に辞めた同僚達が、わざわざ店に寄ってくれた。

いい仲間に恵まれて、本当に楽しく働かせてもらったと思う。

不満を言えばキリがなく、望んだものは、手に入ればすぐに慣れてしまう。

それなら、まだここにいればいいじゃないかと、今日になっても思う自分がいる。

でもその一方で、やはり今なのだとわかっている自分もいる。

職場の引越し、開店当初から働いてくれていた人の死、場のエネルギーも

どんどん変わり、たぶんもう私はそこにいられなくなった。


心がこもったカードやプレゼントを抱えて帰る私は、

なんとラッキーだろうかと、改めて感謝が満ちてくる。



明日は新しい職場の第一日目。

日本で転職した時も、こんなふうに一日のブランクもなかったと思い出し、

あくせくしたもんだと笑いがこみ上げる。

次の職場の面接の時に、職歴を見たマネージャーが、

「20歳からずーっと休みなく働いてきたのねー!」

と言った。そんなつもりはなかったけど、子供に恵まれなかったし、

休むタイミングがなかっただけだ。


人生の中で、一つの幕が閉まり、別の幕が開こうとしている。

置いてきたものに心を残しながらも、

今度はどんな素敵なことに出会えるんだろう、

あるいは、どんな自分に出会えるんだろう、と心が浮き立つ。

よほど私は能天気にできているのだと思う。




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