私の大好きな静かで明るい美術館、神戸市立小磯記念美術館で、黒田清輝展を観てきました。
会期は8月31日までです。
展覧会のチラシにも使われている、重要文化財の「湖畔」や1900年のパリ万国博覧会で高く評価された「智・感・情」の2点を含む約150点が展示されています。
この2点を同時に観られただけでも、行ったかいがあったのですが、雲や人物、花や風景に明るい陽射しを注ぎ込んでいる絵画は好感が持てるものが多かったです。
18歳で法律を学ぶためにフランスへ留学した黒田はパリで絵画に興味を持ち、方向を転換して10年後、画家として帰国します。
同時に展示されていた書簡や日記などを見ると、明治時代の20代の若者が現在よりはずいぶん大人びていたのだなぁと感じます。
また終戦の年、昭和20年に、この絵が飾られていた民家とともに空襲で消失してしまった「昔語り」という絵のために描かれた多数の下絵がありました。
黒田は入念に準備してから制作にかかる画家だったようですね。
晩年は指導者としての手腕を発揮、小磯良平はその後継者にあたります。

会期は8月31日までです。
展覧会のチラシにも使われている、重要文化財の「湖畔」や1900年のパリ万国博覧会で高く評価された「智・感・情」の2点を含む約150点が展示されています。
この2点を同時に観られただけでも、行ったかいがあったのですが、雲や人物、花や風景に明るい陽射しを注ぎ込んでいる絵画は好感が持てるものが多かったです。
18歳で法律を学ぶためにフランスへ留学した黒田はパリで絵画に興味を持ち、方向を転換して10年後、画家として帰国します。
同時に展示されていた書簡や日記などを見ると、明治時代の20代の若者が現在よりはずいぶん大人びていたのだなぁと感じます。
また終戦の年、昭和20年に、この絵が飾られていた民家とともに空襲で消失してしまった「昔語り」という絵のために描かれた多数の下絵がありました。
黒田は入念に準備してから制作にかかる画家だったようですね。
晩年は指導者としての手腕を発揮、小磯良平はその後継者にあたります。
