現在の当店のスタイルからは想像できないかもしれませんが、若かったころの私は お客さんに喜んでもらうために幅広い品揃えが重要な要素のひとつだと信じていましたので、浅い経験と かじった程度の知識に基づき日本酒やウイスキー、ワインなどなど、やたらアイテム数を増やした時期があったんですよ。
そのころはワインといったらフランス! を筆頭に オシャレで風格のある横文字が躍るラベルのものを好んで並べてて、日本の、それも漢字で書かれたラベルに なんとなくカッコ悪さを感じていたような記憶があります。今思うととても恥ずべきことです。その日本のワインを懸命に支えて来てくださったかたがたの努力を知り、日本ワインの魅力に気付いてからは完全に見え方が変わりましたわ。モノを知らぬというのは罪ですね。
どれが一番優れているか・・・ではなく、いいモノに秘められた大事な部分を広くお伝えするのが当店の仕事、
そのためには私よりも分かり易い表現で説明をしているかたの文章等もお借りします。
そのひとつを次に貼り付けました。よろしければご一読ください。
山梨県知事政策局東京事務所やまなしブランド広報官 仲田 道弘 氏の
「甲州ワインの欧州戦略」(2012・10月)より一部抜粋したものです。
『 甲州はワイン用の葡萄としてシャルドネとかソーヴィニヨン・ブラン、リースリングといった品種に比べ劣るとされてきました。そのため、大手ワイナリーは新酒ワインブームが去った時にあっさりと甲州葡萄を使わなくなりました。行き場を失った甲州葡萄は、葡萄畑の隅に穴を掘って捨てられるというショッキングな出来事までありました。
しかし、小さなメーカーがあきらめずに甲州ワインを造り続け、品質を高めてきたおかげで甲州は生き延び、「中の下」と言われてきた葡萄の品種順位が、和食との相性ではシャルドネを凌ぐところまできました。甲州を自分たちのDNAだと信じ続けてきたワイナリーにとって、甲州ワインは自他共に認める地域のプライドとなったのです。』
続きまして丸藤葡萄酒さんの公式HPより
この続きは丸藤さんのホームページでどうぞ。動画もありますよ。
さて
日本国内のワイナリー数は年々増加し、今や510場を越えているのだとか。
(国税庁「酒のしおり」より)
ということは知らないうちに皆さんの身近なところにもワイン醸造場が新たに出来ているかも知れませんね。それだけワインのある風景が日常に浸透してきたということなのでしょう。
1877年 秋、
正しいブドウの栽培法と正しいワインづくりを学ぶため
土屋龍憲(当時19歳)と
高野正誠( 〃 25歳)がシャンパーニュ地方の南、オーブ郡トロア町に渡りピエール・ヂュポンの指導を受けました。
彼らの努力が勝沼ワインの基礎となり、現在の日本ワインにつながっています。
・・・ロマンですねぇ
それでは偉大な先人たちの足跡に乾杯といきましょう! (^O^)/
明日は定休日、
明後日 9月23日(月)は8:00~18:00で営業しますのでよろしくお願いいたします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます