昨年秋に、都市ホテルに泊まった時の朝食バイキングの最後のデザート写真です。
やっぱり都市ホテルのデザートは美味しかったと言うことで、残念ながら月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。
第115代桜町天皇(1720~1750)(在位1735~1747)と正妻にあたる女御二条舎子(イエコ)との間の第2皇女として産まれた、幼名以茶宮(イサノミヤ)・緋宮(アケノミヤ)は1750年11歳で内親王宣下、智子内親王(トシコナイシンノウ)と成りました。(第1皇女は早世しています)
久しぶりですが、それでも見飽きてると思われる月輪陵正面です
1762年に、母は違いますが弟帝の第116代桃園天皇(1741~1762)(在位1747~1762)が22歳の若さで崩御し、儲君(チョクン)の英仁親王(ヒデヒト)は幼少であった為、協議の末に姉君智子内親王が中継ぎ天皇として、第117代後桜町天皇(ゴサクラマチ)(1740~1813)(在位1762~1771)として即位しました。
実在が確かな女帝は、第33代推古・第35代皇極(重祚して第37代斉明)・第41代持統・第43代元明・第44代元正・第46代孝謙(重祚して第48代称徳)・第109代明正と今回の後桜町で、8人10代が存在したことに成ります。
月輪陵横に廻ると、塀越しに内部の石塔だけは見ることが出来ます
幼かった英仁親王も1768年立太子し、2年後には英仁親王に譲位した後桜町天皇は、その第118代後桃園天皇と次の第119代光格天皇と続いた幼帝の即位を受けて、院でそれぞれの太上天皇となり、支える役割を43年間も果たして、独身のまま1813年に74歳で亡くなり、この月輪陵に葬られています。
月輪陵とは無関係ですが、滋賀県にある高級料亭に冬、全国からグルメが集まるそうです。
それが月の輪熊の鍋だとか。
絶品だそうですよ
神戸の病院に居た頃、中華の満会懐石?とかで、熊の手を食べたことは有ります、右か左か蜂蜜が染みた手の方が高いと言われました。