TINKERBELL BLOG

茨城県取手市「美容室アトリエティンカーベル」ティンカーベルのスタッフを身近に感じていただければ嬉しいです

第3回 みちのく潮風トレイル その2

2021年10月05日 | Weblog
ここからはずっと海沿いを歩いて行きます。
海沿いと言っても海はほとんど防波堤により見えませんでした。


千年希望の丘11号丘付近に「千年希望の丘長屋釜」があり、そこには「津波に耐えた大銀杏」もありました。
今ではのどかな風景ですが、震災当日の津波を想像するとなんとも言えない気持ちになります。

そして「東日本大震災慰霊碑」がありました。


恐かったでしょう、苦しかったでしょう、辛かったでしょう、悲しかったでしょう···。
鼻と目の奥がツンとなりました。


慰霊碑がある「千年希望の丘相野釜公園」を振り返ると、昔の風景画がありました。
左手前の看板をよく見て下さい。
今は··· のっぺりとした土地になってしまいました。

ひたすら北上します。

さらに海寄りの道になりました。
行き交う車はほとんどが工事関係車両です。

歩道の補修をしていました。
警備員のおじさんが丁寧に誘導してくれました。
いつも思うのですが、挨拶してくれて感じ良い方が多いのです。
暑いのにヘルメット、長袖でたいした交通量無くてもずっと立っているという仕事は大変だなと思います。
僕はいつも『ご苦労さまです。ありがとうございます』と労うようにしています。

その警備員のおじさんが僕に話しかけてきました。
『ここに来る途中で見かけましたよ。ずっと歩いて来たんですね。頑張って』と。
みちのく潮風トレイルのことを知っているようです。

僕は『はい!ありがとうございます』と言ってお辞儀をしました。


仙台空港の脇をかすめて行きます。
「北釜防災公園」も千年希望の丘の造りとなっています。
通過しましたが、未練が残ってしまい、戻って丘に上がりました。
写真ではよく分からないと思いますが、ANAの実機がありました。

小型のセスナ機が一定間隔でどんどん着陸してきます。
こんなに来るもんなんだなぁ。
しかし、なんであんなものが空を飛ぶんだろう。

だいぶ疲れてきました。
なんだかかかとが痛いと思ったら、大きなマメ(幅3.5センチ✕1.5センチぐらいの水疱)になっていました。
コロナウイルスによる自粛は僕のかかとが柔らかくなるほどの期間、足止めを強いていました。


名取市に入ります。
名取には「トレイルセンター」があります。
ほとんどの情報はここから発信されます。

が、本日火曜日は定休日です。
残念ですが、外から眺めるだけで終わりました。


名取川を渡ります。
ここは閖上地区です。

閖上(ゆりあげ)といえば僕がまだ小学生低学年の頃、仙台のおじいちゃんに連れられて釣りに行ったのを思い出します。

近くに橋があったのを覚えているのですが、川幅はこんなに広くなかったので、たぶんこの河の支流だったのでしょうね。
今では全然わからないほど変わり果ててしまいました。

おじいちゃんはいつも僕に優しかったです。
あの日結局1匹も釣れなかったんだよなぁ〜。
わがまま言って連れてきてもらったのに、釣れなくてブスくれてしまう可愛くない少年でした。

そう、僕の両親は仙台出身なのです。
だから、だからここを通るのが何となく辛いです。
みちのく潮風トレイル歩くことにしてからというもの、ずっとずっと気にしていた場所です。


やがてルートは自転車道路に入りました。
ずっと手前から自転車道路はありましたがここで合流することになりました。

とにかく長いです。
自転車だとなんでもない距離ですが、歩くにはとても長く辛いです。
景色も全く変わらず見所もありません。

右手には水路があり、たくさんのカモが僕が通るたびバタバタと飛び立っていきます。

釣りしてる人(柵を乗り越えちゃっていいのかな?)も何人かいましたが、誰一人釣れているところは見れませんでした。

ふと左手に鉄パイプで造られた通路のようなものが目に入りました。
その奥には木道が続いていました。
おじさんがこちらに向かって歩いてきます。

なんとなく1人でいたかったので追いつかれないようにしていました。

実はここを通るの少し前に女房からLINE入ってきました。
『膝痛くない?』と。
膝は痛くないんだけど、かかとにでっかいマメが出来たんだよと返答しました。

ところがそのすぐあとから膝に違和感が出ました。
皆さんが痛くなる膝のお皿の下ではなく、スキーで切ってしまった内側側副靱帯の古傷が痛むのです。

スピードががっくりと落ちてしまいました。
後ろからさっき木道から出てきたおじさんが少しずつ少しずつ近づいてきます。
話しかけられて歩みが遅くなるのが嫌で逃げるように進んで行きました。

もう少しで追いつかれるというところでおじさんは自転車道路から外れていきました。

ちょっとホッとしたのかな。
すごく疲れが溜まってきたからなおさら1人でいたかったのです。
その少し先の鉄柵があるところで膝にテーピングを巻くことにしました。

荷物を下ろし、持ってきた小さなクッションを敷いて柵に寄りかかりました。

おじさんが振り返ってこちらを見ています。
目が会っちゃいました。

えっ?
こっちに来るよ?
わざわざ戻ってきます。
標的は間違いなく僕ですよね?

草むら越しにおじさんがこちらを見て立っています。

すると···。


その3へ続きます。


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第3回 みちのく潮風トレイル その1

2021年10月05日 | Weblog
緊急事態宣言も全国で解除になり、僕の自粛モードも解除しました。

いやいや長かったです。
おかげさまで腹が出る出る。
お散歩程度じゃお話になりませんね、やっぱり。

全然登ってないのでいきなり山はちょっと無理です。
2週間空けただけでも体力落ちるので、1ヶ月以上の我慢はだいぶこたえました。

ということで今週の連休は「みちのく潮風トレイル」の続きを歩くことにしました。

今回歩くセクションはこちら↓


前回まで歩いた「逢隈(おおくま)駅」から宮城に入って「中野栄駅」までと、2日目に「塩竈駅」から「中野栄駅」までの計画です。

いつものごとく前夜発です。
今回は頑張って20時30分に家を出ることが出来ました。

なんてったって 片道310kmありますからね。

だんだん遠くなってきて、運転も辛いです。
それと現在常磐道は夜間工事通行止め区間があります。
今回は広野IC~常磐富岡ICの区間が通行止めで、一般道への迂回をさせられました。

それでも休憩はトイレ1回以外は止まらず、0時30分に到着しました。
高速降りてからも近かったですしね。

睡眠が浅く、3時半に1度目覚めました。
なんとか2度寝して5時30分の起床です。
これだけ眠れりゃ問題ないです。

JR仙石線で仙台で乗り換え、JR常磐線で福島の逢隈駅に降り立ちました。
電車での移動に50分ぐらいかかりました。

今日は遠いぞ···。



6時07分の電車に乗ります。
それなりに乗客がいましたが、混雑はしていません。

逢隈駅は無人駅ですが、降りる人が思ったより居たので驚きました。

さて、GPSナビをセットし地図を持ってスタートします。時刻は7時10分でした。


久しぶりの誘導標柱です。
みちのくのコレはとても分かりやすいですが、すべての曲がり角に付いているわけではありません。
ボーっとしていると通り過ぎてしまうので気をつけないとね。

のっけから、見たいと思っていた「田澤麿崖仏」をいつの間にかスルーしてしまいました。あ〜ぁ。

阿武隈川に出ました。
いきなり目に飛び込んできたのは「日本製紙岩沼工場」でした。
ものすごい煙突から煙が出ています。


この煙、秋田工場では異臭が酷く住民の苦情が出ていましたが、現在は石炭や木屑を燃料とするリサイクル操業になっているようです。
もちろん宮城県でもばい煙に対する協定を結んでおり、公害の抑制に対する監視をしているようです。

しかしながら、要塞を思わせるようなその外観は一種の写真撮影ポイントとしても有名で、夕暮れどきに浮かび上がるその様は独特の様相をかもし出しているように思えます。


さらに川沿いを歩き、阿武隈川を渡ります。
歩いて渡る人はほとんどいません。
歩道があって良かったのですが、なかには横断歩道なんて無いところもあるので、車に手を挙げてアピールしながら渡ったりします。


こんな感じです。

対岸に渡ると宮城県です。
土手の上をずっと歩き、ちょっと入ると「南浜中央病院」がありました。

当然ここも津波の被害を受けています。
今では立派に復興を遂げ、また地域の大切な役目を再開していました。
YouTubeでも動画が上がっています。

この辺りになると古い地図ではどうにもなりません。
とにかくすべて変わってしまっていますから。
みちのく潮風トレイルの地図ですら、すでに変化があります。
つまりそんなスピードで復興が進んでいるということですね。

GPSと紙地図を照らし合わせながら進んで行きます。


「千年希望の丘13号丘」です。
ほぼ平らなこの土地では高台がありません。
ちなみに〇号丘は1〜3と11~13の6基でした。

なんのための丘なのかな··· 避難場所としての役割は果たしそうですけど。
でも調べてみると意外な真実を知りました。

波の力を減衰させる役割があるほか、やはりいざという時の避難場所にもなります。
丘の土台などには、震災ガレキが用いられているとのことです。
そういう想いを込めて造られているのです。
そして海沿いの土地からは津波を意識した構造になっているため、海がほとんど見えません。


その2へ続きます。

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