原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人生の選択肢と自己肯定

2008年06月12日 | 自己実現
 こんな弱輩者の私にも人から相談を持ちかけられることがある。例えば、教育相談、進路相談、恋愛相談、健康相談、家族の相談、不妊相談、…。
 中絶相談というのも何度か経験がある。これは厄介で難儀な相談だ。
 “死にたい”相談もあった。これに関しては人に相談した時点で相談者は生きようとする意思を持ち始めている場合が多いため、比較的対応は容易である。相談後のフォローが欠かせないが。

 相談を受ける側の鉄則は相談者の話に耳を傾けることであり、決して率先して結論を提示するべきではない。大抵は相談者がある程度の結論を自分なりに導いており、相談者は信頼できる相手にその後押しをして欲しいだけの場合が多いからだ。たとえそうではない場合も、方向性を示す程度の回答を提示し、相談者に思考を促し最終結論を本人に出させることが肝要だ。

 いずれにしても、相談内容に具体性がある程結論は導きやすい。


 これに対し、抽象的な相談の場合その回答を導くことは容易ではない。

 先だって受けた相談は、「自分の生き方が間違っていないか?」という内容であった。(相談された方がこの記事をお読み下さるかもしれません。私にとりましても印象的な相談でしたので記事として取り上げさせていただきました。ご了承下されば幸いです。)
 う~~ん。ちょっと応えに難儀する相談である。
 即答で「大丈夫、間違ってないよ。」等の一時の気休め的な回答は避けたいと私はまず考えた。やはり本人の思考を促し、結果として本人が迷いを少しでも払拭でき、失いかけている自信を少しでも取り戻せるような、ある程度普遍性のある回答を導きたいと考え頭を巡らせた。

 その結果の私なりの回答を以下に述べよう。(相談者を仮にAさんとする。)
 人間にとって自分の生き方が正しいか間違っているかということは、誰しも永遠の課題であろう。この私にとってもそれは同様で、自分が選んだ選択肢及びその結果の行為が果たして正しかったのか、誤りであったのかを常に振り返る。私の場合は年の功もあるが、とにかく自分を肯定しつつ生きていきたい思いが強い。自己肯定をするためには、人生におけるあらゆる岐路において、自己肯定が出来る道を選択し行動しながら生きていくことが当然ながら肝要だ。それでもこの私とて日々立ち止まり思い悩む。それはきっとAさんと同じなのではないかと思う。Aさんも、ふと立ち止まって「自分の生き方が間違っていないか?」と振り返る余裕を持っているので、そのような客観力のあるAさんはそのままで十分なのではないか。
 以上が私の今回の相談の回答である。


 人間の価値観は多様である。同一課題における正解は皆それぞれに異なって当然であろう。
 人生における様々な岐路、すなわち進学、就職、結婚、出産、転居、はたまた離婚、転職等々…。 このようなビックイベントはもちろんのこと、日々の生活は選択の連続である。何時に起きるか、何を食べるか、何を着るか、どこへ行くか、何をするか、誰と会うか、何を買うか、… 一刻一刻が選択の連続で日々が過ぎていく。
 人それぞれの価値観やライフスタイルは異なれど、すべての人々のすべての岐路における選択基準の共通点はまさに“自己肯定”であろう。
 人生に迷いはつきものであるが、人生のすべての岐路における選択結果において自分自身を肯定できているという自分なりの裏づけがあれば、迷いつつもある程度自信を持って前向きに日々を送れるのではなかろうか。
  
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