(この物語の当時の写真。右が私、左が姉、米国西海岸にて)
先週末に引き続き今週末も恋愛もののエッセイを綴ろう。
今回は“国際恋愛の巻”である。読者の方は既にご存知の通り、数打ちゃ当たる的な失敗続きの私の恋愛騒動、今回はうまく進展するのかどうか…。
米国人男性ジョニー(仮名)との出逢いは米国西海岸に住む姉の家の玄関だった。
独身の頃、私は米国在住の姉のところへ単身で何度か訪れている。 その訪問の一番のお楽しみは、華やかで交際範囲の広い姉のネイティブの友人に会い、片言の英語で楽しいひと時を過ごす事だった。
日本でも翻訳されてベストセラーとなった「カッコウはコンピュータに…」の著者であるC・S氏とも姉が交友があったお陰で、氏にもお目にかかった事がある。C・S氏は作家であると同時に天文学者でもあり当時大学教授をされていたと記憶しているが、ふわふわのカーリーヘアが可愛らしく、とても控えめで優しくごく普通の庶民的な方だった思い出がある。
ジョニーもそんな姉の広い交友関係の中の友人のひとりであった。
その日、ジョニーが日本から遥々訪れた私のために西海岸めぐりのドライブに連れて行ってくれるということで、愛車のポルシェで姉の家まで迎えに来てくれたのである。(ちなみにジョニーは離婚暦もなく子持ちでもない正真正銘の独身男性であった。)
姉の家の玄関でジョニーと初めてご対面した時、ジョニーの私を見るその眼差しから私は直感で一目惚れされたことを感知した。(こんな事を書くと、何だかしょってる勘違い野郎で馬鹿みたいだが本当の話なんです…)あちらの方は表現が直接的だ。それからというもの、ジョニーは私から視線を外さず穴が開くほどずっと見ているのだ。
そして3人でポルシェに乗り込むのだが、私はポルシェに乗るのはこの時が初めてだった。ジョニーのポルシェは後部に小さな座席がひとつあるタイプなのだが、この後部座席がとてつもなく小さいのだ。私と姉のどちらが後部座席に座るかということで、私が後部座席を申し出た。ところがどうもジョニーは私に助手席に座って欲しそうだ。そうしたところ姉が「私の方が痩せてるから後ろに座る」と言い、席は決まった。
何分私は英語が片言なため、姉の通訳付きでジョニーと話した。おそらく自己紹介風の話を中心に、姉が通訳係に徹してジョニーと私の二人が対話をしながらのドライブだった。
その日の3人でのドライブが終了する時、ジョニーが私に言う。私が滞在中に是非もう一度今度は二人で会いたいと。姉もジョニーの私への気持ちを既に察していて私にそうすることを勧めてくれる。私もまんざらではないのだが、何分英会話力の問題がある。(経験がおありの方は理解していただけると思うが、英会話力がなくてネイティブと話す場合、英語をしゃべるという行為自体にエネルギーを使い果たし、肝心のコミュニケーションがとれているのかどうか後で考えるとよくわからないのである。)そういう事態を予想して私は二人で会うことを躊躇したのだが、ジョニーの熱意に押されて会うことになった。
そして二度目のデートであるが、この日ジョニーは私に自分のことをよく知って欲しかったものと思われる。やはりポルシェでとりあえずジョニーの住むサンフランシスコ周辺をドライブした。ジョニーはコンピュータ関連のT社に勤める技術者なのであるが、自分の職場へ連れて行ってくれたのが印象的である。あちらの会社は、特に専門職の場合ひとりひとりが個室を持っているのが特徴のようだ。人口密度がやたら少ないオフィスなのであるが、やっと一人ジョニーの仕事仲間に出会った。ジョニーが早速私のことを紹介してくれる。「ハイ!○○(私の名前)、ナンタラカンタラ……」と相手はフレンドリーであるが、よくわからない私は笑顔でごまかす。
途中であるが、ここで英語での会話について補足説明をしよう。ジョニーに会うのは2度目となるため、さすがにジョニーの英語に対しては耳が慣れてきている。そしてジョニーが私に好意を持ってくれているお陰で、私の下手な英語を真剣に聞いてくれるのだ。という訳で、意外や意外、ジョニーとの二者関係においては会話が会話として成り立ちコミュニケーションがとれるのである。 ただし相手が変わると若干勝手も変わる程度の私の英会話力であることには変わりない。
ジョニーのガラス張りの個室オフィスを訪れ米国のサラリーマンは恵まれていることを実感した後は、今度は西海岸の少し郊外にあるジョニーの本宅を訪れた。 ジョニーは不動産を2件所有していた。サンフランシスコのコンドミニアムは仕事のための普段の住みかであり、郊外の本宅は普段は使用しないため若者数人にルームシェアで賃貸しているのだ。この本宅でも在宅していた若い世代の住人達が私を出向かえてくれる。「ハイ!○○(私の名前)、ナンタラカンタラ、ナンタラカンタラ……」と若い皆さんが異口同音に歓迎してくれるのであるが、やはり詳細は捉えにくい。
そして、帰り道でジョニーが少し真剣な話を始める。この頃にはわずか一日で私の英会話力は相当上達していた。その話によるとジョニーはある深刻な身体的事情を抱えているということである。それは「睡眠障害」なのであるが、若かりし頃のドラッグ経験の後遺症であるらしい。今後もずっと抱えていく事情であるという。
補足説明をすると、1960年代後半頃のアメリカではベトナム戦争反戦運動をきっかけにヒッピーが流行り若者の間でドラッグが蔓延していた。その頃ジョニーはちょうど学生でやはりドラッグを経験したらしいのだ。このドラッグ問題は当時のアメリカでは大きな社会問題であった。今尚その後遺症で苦しむ人達は多いのだ。
ジョニーの口からその話を聞いた直後は、私は米国人としては考え得る話程度に捉え軽めに受け流していた。
ところが、その後そのジョニーの後遺症が二人の関係に大きな影を落とすことになる。(続編へ続きます。)
先週末に引き続き今週末も恋愛もののエッセイを綴ろう。
今回は“国際恋愛の巻”である。読者の方は既にご存知の通り、数打ちゃ当たる的な失敗続きの私の恋愛騒動、今回はうまく進展するのかどうか…。
米国人男性ジョニー(仮名)との出逢いは米国西海岸に住む姉の家の玄関だった。
独身の頃、私は米国在住の姉のところへ単身で何度か訪れている。 その訪問の一番のお楽しみは、華やかで交際範囲の広い姉のネイティブの友人に会い、片言の英語で楽しいひと時を過ごす事だった。
日本でも翻訳されてベストセラーとなった「カッコウはコンピュータに…」の著者であるC・S氏とも姉が交友があったお陰で、氏にもお目にかかった事がある。C・S氏は作家であると同時に天文学者でもあり当時大学教授をされていたと記憶しているが、ふわふわのカーリーヘアが可愛らしく、とても控えめで優しくごく普通の庶民的な方だった思い出がある。
ジョニーもそんな姉の広い交友関係の中の友人のひとりであった。
その日、ジョニーが日本から遥々訪れた私のために西海岸めぐりのドライブに連れて行ってくれるということで、愛車のポルシェで姉の家まで迎えに来てくれたのである。(ちなみにジョニーは離婚暦もなく子持ちでもない正真正銘の独身男性であった。)
姉の家の玄関でジョニーと初めてご対面した時、ジョニーの私を見るその眼差しから私は直感で一目惚れされたことを感知した。(こんな事を書くと、何だかしょってる勘違い野郎で馬鹿みたいだが本当の話なんです…)あちらの方は表現が直接的だ。それからというもの、ジョニーは私から視線を外さず穴が開くほどずっと見ているのだ。
そして3人でポルシェに乗り込むのだが、私はポルシェに乗るのはこの時が初めてだった。ジョニーのポルシェは後部に小さな座席がひとつあるタイプなのだが、この後部座席がとてつもなく小さいのだ。私と姉のどちらが後部座席に座るかということで、私が後部座席を申し出た。ところがどうもジョニーは私に助手席に座って欲しそうだ。そうしたところ姉が「私の方が痩せてるから後ろに座る」と言い、席は決まった。
何分私は英語が片言なため、姉の通訳付きでジョニーと話した。おそらく自己紹介風の話を中心に、姉が通訳係に徹してジョニーと私の二人が対話をしながらのドライブだった。
その日の3人でのドライブが終了する時、ジョニーが私に言う。私が滞在中に是非もう一度今度は二人で会いたいと。姉もジョニーの私への気持ちを既に察していて私にそうすることを勧めてくれる。私もまんざらではないのだが、何分英会話力の問題がある。(経験がおありの方は理解していただけると思うが、英会話力がなくてネイティブと話す場合、英語をしゃべるという行為自体にエネルギーを使い果たし、肝心のコミュニケーションがとれているのかどうか後で考えるとよくわからないのである。)そういう事態を予想して私は二人で会うことを躊躇したのだが、ジョニーの熱意に押されて会うことになった。
そして二度目のデートであるが、この日ジョニーは私に自分のことをよく知って欲しかったものと思われる。やはりポルシェでとりあえずジョニーの住むサンフランシスコ周辺をドライブした。ジョニーはコンピュータ関連のT社に勤める技術者なのであるが、自分の職場へ連れて行ってくれたのが印象的である。あちらの会社は、特に専門職の場合ひとりひとりが個室を持っているのが特徴のようだ。人口密度がやたら少ないオフィスなのであるが、やっと一人ジョニーの仕事仲間に出会った。ジョニーが早速私のことを紹介してくれる。「ハイ!○○(私の名前)、ナンタラカンタラ……」と相手はフレンドリーであるが、よくわからない私は笑顔でごまかす。
途中であるが、ここで英語での会話について補足説明をしよう。ジョニーに会うのは2度目となるため、さすがにジョニーの英語に対しては耳が慣れてきている。そしてジョニーが私に好意を持ってくれているお陰で、私の下手な英語を真剣に聞いてくれるのだ。という訳で、意外や意外、ジョニーとの二者関係においては会話が会話として成り立ちコミュニケーションがとれるのである。 ただし相手が変わると若干勝手も変わる程度の私の英会話力であることには変わりない。
ジョニーのガラス張りの個室オフィスを訪れ米国のサラリーマンは恵まれていることを実感した後は、今度は西海岸の少し郊外にあるジョニーの本宅を訪れた。 ジョニーは不動産を2件所有していた。サンフランシスコのコンドミニアムは仕事のための普段の住みかであり、郊外の本宅は普段は使用しないため若者数人にルームシェアで賃貸しているのだ。この本宅でも在宅していた若い世代の住人達が私を出向かえてくれる。「ハイ!○○(私の名前)、ナンタラカンタラ、ナンタラカンタラ……」と若い皆さんが異口同音に歓迎してくれるのであるが、やはり詳細は捉えにくい。
そして、帰り道でジョニーが少し真剣な話を始める。この頃にはわずか一日で私の英会話力は相当上達していた。その話によるとジョニーはある深刻な身体的事情を抱えているということである。それは「睡眠障害」なのであるが、若かりし頃のドラッグ経験の後遺症であるらしい。今後もずっと抱えていく事情であるという。
補足説明をすると、1960年代後半頃のアメリカではベトナム戦争反戦運動をきっかけにヒッピーが流行り若者の間でドラッグが蔓延していた。その頃ジョニーはちょうど学生でやはりドラッグを経験したらしいのだ。このドラッグ問題は当時のアメリカでは大きな社会問題であった。今尚その後遺症で苦しむ人達は多いのだ。
ジョニーの口からその話を聞いた直後は、私は米国人としては考え得る話程度に捉え軽めに受け流していた。
ところが、その後そのジョニーの後遺症が二人の関係に大きな影を落とすことになる。(続編へ続きます。)