原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

小心者の底力

2008年06月23日 | その他オピニオン
( 前回の記事「……ジョニー」の続編は、週末までお待ち下さいますように。)


 私は以前から、他人から投げかけられる「小心者」「臆病者」等の類の言葉を好まない。
 自分自身で「私って小心者だなあ」「何て臆病者なのだろう」と日常自覚する場面はよくあるのだが、他人から面と向かってこの言葉を投げかけられると、たとえそれが冗談交じりであれ結構傷つくものである。 
  
 と言うように、世間ではこの「小心者」「臆病者」という言葉はマイナスイメージとして使用されているようだ。
 
 ところで、私はテレビの対談番組を好んでいる。近年はテレビをほとんど見ないのだが、昼間在宅時の昼食時間にニュースと天気予報を見る流れで、NHKの「スタジオパークからこんにちは」をゲストによっては見ることがある。最近では現在世界的に活躍中の女性オーケストラ指揮者である西本智実氏の対談をこの番組で見て、その人となりと超越したカッコよさに甚く感銘してしまい、西本氏の指揮によるコンサートを見に行くことが現在の私のひとつの目標となっている。(この件に関してはまたの機会に別記事で詳述しよう。)

 話を戻すが、この種の対談番組を見ていて気付くのは、大抵のゲストの皆さんが異口同音に自分は「実は小心者だ」「実は臆病者だ」とおっしゃることだ。
 かの有名な長身女性歌手のAW氏もいつも言っている。何十年歌手をやっていても舞台で歌う直前は口から心臓が飛び出しそうなくらい緊張するのだと。バラエティ番組に出演する時は一切そのようなことはないのだが、自分の本業は歌手であるという自負があり、歌にかける思いが自分を一瞬臆病にさせるらしいのだ。
 上記の西本氏も同様の事を話していた。コンサートの舞台に立つ直前に極度の緊張感から一瞬頭が真っ白になるため、必ず直前の1分間目を閉じての瞑想時間を設けているそうだ。

 どうも、「小心」「臆病」等人間の持つ内面の潜在的“弱さ”を自分でコントロールしプラスに転化していくエネルギーを持てる人達にとっては、その種の“弱さ”さえもが芸や技の肥やしとなり成功を掴む鍵となっているように、私は対談を見ていていつも感じるのである。 逆に考察すると、いつも自信に満ち溢れ“恐れ”や“畏れ”を知らない根っから図々しい人というのは、大変失礼な言い方をすると実は“単純馬鹿”なのではないかとさえ私は思ってしまう。


 先だっての新聞広告に、「臆病だから、勝ち抜ける」と題するベテランロッカーEY氏の談話が掲載されていた。この談話の中の“臆病”に関する部分を以下に抜き出して要約してみよう。
 僕は自分の中に鋭敏なレーダーを持っている。芸能界で当たり前のように人が準じているルールに対しても、変だとレーダーが働く。それはきっと僕自身が臆病であるからだ。自分で自分を臆病だと認めるのはなかなか難しい。しかし、本当は臆病と緻密な考えとは背中合わせにあって、怖いからこそ有効な防衛策を繰り出せるのだと思う。とにかく目をそらさずに自分の現状をはっきり把握したいと思う。
 以上がEY氏の対談の一部要約である。

 上記の私の既述と共通項があるが、まさに「小心」や「臆病」とはただ単に“恐れ”や“畏れ”に怯えて小さくなって逃げ腰になっている状態ではないのだ。それらの感情はいつも繊細さや緻密な考えと背中合わせなのである。「小心」や「臆病」は人間に畏れ怯える時間や空間を持たせてくれる。そして、直面した事態から一旦引き下がらせてくれ、次なる発展に向かうステップを冷静沈着に緻密に練る余裕を溜め込ませてくれる。そして、その結果醸し出されるエネルギーというのは怖さに怯える経験をする以前よりもより強力なのである。

 弱きを知る者こそが真の強者だ、とはよく言われる言葉であるが、まさにその通りである。
 小心者だからこそ、臆病者だからこそ持てる繊細で緻密な思考により裏付けられた底力は何よりもパワフルであるように私も思うのだ。  
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