(写真は、横浜みなとみらいにある横浜ランドマークタワー。観覧車コスモクロックより撮影。)
旅行と言うには近場なのだが、横浜みなとみらいへ行って来た。
自宅から1時間ちょっとの在来線での手軽な旅だ。
今回のみなとみらいでの宿泊先は、日本一ののっぽビル、ランドマークタワーの上階にある横浜ロイヤルパークホテルである。このホテルの上空の部屋からの夜景を楽しむのが今回の旅の主たる目的であった。
予約が遅れたため横浜港展望側ではなく、横須賀、鎌倉方面展望側だったのだが、59階の客室からのブルーライト横浜の夜景や鎌倉近辺の小高い丘々、そして横須賀湾の眺めを満喫できた。
ところで横浜といえば、私にとっては第三の故郷ともいえるような思い入れの深い地である。
私の半生において多方面で最高に充実していた30歳代の“華”の独身時代を、この横浜を拠点として暮らしている。
私が横浜に住んでいたその頃は、ちょうどバブル期をはさむ前後の時期であり、社会自体がバブル経済に浮かれ華やいだ時代であった。
ただしこのみなとみらい地区は、私が横浜在住の当時はまだ“みなとみらい21事業地区”と称して開発途中であった。1991年にこの開発事業の先駆けとして、ヨットの形をした横浜インターコンチネンタルホテルが開業した頃には、私はまだ横浜に居住していたのだが、ランドマークタワーが完成、開業した1993年には既に東京へ転出していた。
さらに、みなとみらい線が開通したのはずっと後の2003年である。
横浜みなとみらい地区を本格的に訪れるのは私にとっては今回がまだ2度目であった。
このみなとみらい線の開通、及び東急東横線の相互乗り入れにより、横浜中華街へのアクセスが極めて便利になったようだ。
以前は、横浜に住んでいても中華街に行くのは不便だったような記憶があるが、現在はみなとみらい線終点の“元町・中華街駅”を降りるとすぐそこに中華街がある。
(当ブログは料理ブログではないため)料理の話は割愛し、酒好きの私にとって中華と言えば、老酒。 お燗のボトルを一本飲み干し、中国人の店主より搾菜や杏仁豆腐、そしてジャスミン茶のサービスも受け、気分良くホテルに帰った。
その前にコスモワールドで観覧車のコスモクロックなどを楽しみ、翌日は横浜美術館へ行って特別展の“荒木経惟ら4人が作る「わたしの美術館」展”等を観賞した。
帰りはインターコンチネンタルホテルの真横にある、みなとみらいぷかり桟橋からシーバスに乗って横浜駅に降り立った。
この横浜駅は私にとっては何とも懐かしい。
当時、東京方面へのアクセスの多さも考慮して単独で購入した東急東横線沿線の分譲マンションの自宅から、このターミナル駅の横浜駅を経由して毎日学校や職場に通っていたためである。
乗り換え時に、横浜駅東口にあるデパートのそごうや、地下街ボルタ、それに横浜ルミネ等に立ち寄って、しょっちゅう洋服やお洒落用品を買い漁ったものだ。今やテナントはすっかり入れ替わったことであろう。片や、西口駅前近くのビルの上階のとある居酒屋や、JRのガード下辺りにあるお寿司屋さんに常連で真夜中に立ち寄っては、新鮮なお造りを肴に連れ合いと飲んで楽しんだものである。あのお寿司屋さんはまだ営業しているのであろうか。
華やかなりし我が独身時代の少しばかりのノスタルジーをお土産に短い旅から帰宅すると、折りしもFAXで吉報が届いていた。
上記で述べた、私が横浜で暮らした東横線の別宅は現在賃借人募集中であったのだが、どうやら留守中に入居申し込みが入ったようだ。図らずも30歳代の独身女性が入居を希望してくれている。快く入居を承諾しよう。
旅行と言うには近場なのだが、横浜みなとみらいへ行って来た。
自宅から1時間ちょっとの在来線での手軽な旅だ。
今回のみなとみらいでの宿泊先は、日本一ののっぽビル、ランドマークタワーの上階にある横浜ロイヤルパークホテルである。このホテルの上空の部屋からの夜景を楽しむのが今回の旅の主たる目的であった。
予約が遅れたため横浜港展望側ではなく、横須賀、鎌倉方面展望側だったのだが、59階の客室からのブルーライト横浜の夜景や鎌倉近辺の小高い丘々、そして横須賀湾の眺めを満喫できた。
ところで横浜といえば、私にとっては第三の故郷ともいえるような思い入れの深い地である。
私の半生において多方面で最高に充実していた30歳代の“華”の独身時代を、この横浜を拠点として暮らしている。
私が横浜に住んでいたその頃は、ちょうどバブル期をはさむ前後の時期であり、社会自体がバブル経済に浮かれ華やいだ時代であった。
ただしこのみなとみらい地区は、私が横浜在住の当時はまだ“みなとみらい21事業地区”と称して開発途中であった。1991年にこの開発事業の先駆けとして、ヨットの形をした横浜インターコンチネンタルホテルが開業した頃には、私はまだ横浜に居住していたのだが、ランドマークタワーが完成、開業した1993年には既に東京へ転出していた。
さらに、みなとみらい線が開通したのはずっと後の2003年である。
横浜みなとみらい地区を本格的に訪れるのは私にとっては今回がまだ2度目であった。
このみなとみらい線の開通、及び東急東横線の相互乗り入れにより、横浜中華街へのアクセスが極めて便利になったようだ。
以前は、横浜に住んでいても中華街に行くのは不便だったような記憶があるが、現在はみなとみらい線終点の“元町・中華街駅”を降りるとすぐそこに中華街がある。
(当ブログは料理ブログではないため)料理の話は割愛し、酒好きの私にとって中華と言えば、老酒。 お燗のボトルを一本飲み干し、中国人の店主より搾菜や杏仁豆腐、そしてジャスミン茶のサービスも受け、気分良くホテルに帰った。
その前にコスモワールドで観覧車のコスモクロックなどを楽しみ、翌日は横浜美術館へ行って特別展の“荒木経惟ら4人が作る「わたしの美術館」展”等を観賞した。
帰りはインターコンチネンタルホテルの真横にある、みなとみらいぷかり桟橋からシーバスに乗って横浜駅に降り立った。
この横浜駅は私にとっては何とも懐かしい。
当時、東京方面へのアクセスの多さも考慮して単独で購入した東急東横線沿線の分譲マンションの自宅から、このターミナル駅の横浜駅を経由して毎日学校や職場に通っていたためである。
乗り換え時に、横浜駅東口にあるデパートのそごうや、地下街ボルタ、それに横浜ルミネ等に立ち寄って、しょっちゅう洋服やお洒落用品を買い漁ったものだ。今やテナントはすっかり入れ替わったことであろう。片や、西口駅前近くのビルの上階のとある居酒屋や、JRのガード下辺りにあるお寿司屋さんに常連で真夜中に立ち寄っては、新鮮なお造りを肴に連れ合いと飲んで楽しんだものである。あのお寿司屋さんはまだ営業しているのであろうか。
華やかなりし我が独身時代の少しばかりのノスタルジーをお土産に短い旅から帰宅すると、折りしもFAXで吉報が届いていた。
上記で述べた、私が横浜で暮らした東横線の別宅は現在賃借人募集中であったのだが、どうやら留守中に入居申し込みが入ったようだ。図らずも30歳代の独身女性が入居を希望してくれている。快く入居を承諾しよう。