原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ペンフレンド

2008年08月15日 | 人間関係
 「文通」なんて、レトロで懐かしい言葉でしょ?

 今の若い世代の方々は、この言葉を見聞したことがおありだろうか?

 実はあるブロガー仲間の方と別便にてメッセージのやり取りをさせていただいていたところ、“何だか「文通」をしているようだ”との表現をいただき、久しぶりに聞くこの言葉の暖かい響きが心に残ったのだ。
 そこで今回の記事では、この「文通」について取り上げることにした。


 私が中高生だった頃、「文通」という友人同士の文書による交流手段が流行っていた。 
 この「文通」に対して「交換日記」というのも流行っていた。両者の相違点は、後者が身近な知人との日記帳を介するメッセージのやり取りであるのに対して、前者は見知らぬ遠方の友との手紙を介するふみのやり取りであったように私は認識している。

 私も、この「文通」を中高生時代に経験している。
 当時、小学館か学研かの学習雑誌のひとつのコーナーとして、“ペンフレンド募集”というページがあった(ように記憶している)。このページに文通希望者が自分の氏名、住所及び簡単な自己紹介、そしてペンフレンドの希望条件等を載せるのだ。(個人情報が濫用されない平和な時代だったなあ。)それを見た読者が、自分の希望の文通相手を選び、直接手紙を出して文通が始まるというシステムである。

 このコミュニケーション手段を利用し、私も目ぼしい相手を探して手紙を送ったのだ。何を基準に相手を選択したのかに関しての詳細の記憶はないのだが、ひとつ憶えているのは当時田舎に住んでいた私は“都会”への憧れから、比較的近い都会である大阪在住の同学年の男の子を選んだ。

 このペンフレンドが、大変相性が良かった。おそらく、あちらにとってもそうであっただろうと推測する。それが証拠に、この文通がその後何年も続くのである。
 一ヶ月に一往復位のペースで手紙のやり取りをしていたように思う。
 お互いに高校生になっても続いていた。そしてお互いに友人を紹介し合い、その友人同士も文通をしていた。

 文通が長くなったある時、一度会おうという話になった。友人2人も交えて4人で会う話が進み、夏休み中に向こうがこちらまで来ることが決まった。
 そして、フェリーに乗って大阪から二人がやって来た。
 既に写真交換をしていたのだが、外見的イメージはかなり違った。だが、人物像は手紙のやり取りそのものでなかなかの好感度だった。
 何分子ども同士のご対面のため、4人で楽しい一日を過ごした後、男の子二人はフェリーに乗って大阪へ日帰りした。
 その後も相変わらず文通は続いた。高校生のうちに今度は私が大阪に行ったついでに、二人でもう一度会ってエキスポランドで無邪気に遊んだ。

 あまりにも文通が長続きしているので、私の父が年頃の娘を持つ身として二人の関係を心配し始めたくらいだ。ただ、父が心配するような感情は双方に一切なく、本当に高校生らしい“理想的”な関係の文通がその後も続いた。

 いつ、どういう理由でこの文通関係が終焉を迎えたのかは、今となっては記憶が一切ないのだ。手紙も全部廃棄してしまっている。ただ、今でもその相手の氏名と手紙文の力強い字姿が脳裏に鮮明に残っている。


 この「文通」は今や「メール交換」にとって変わられ、その風情も大きく様変わりしている。
 情報伝達手段としてのメール機能は、その即時性やグローバル性において優れた伝達機能であることは認める。私もこのメールの利便性を日々活用する毎日である。
 ただ、人の“心”を伝達する手段としての「メール」機能には、私はやはり薄っぺらさが拭い去れない。
 人と人とのかかわりにおいて「メール」ひいてはネット世界を過信することは、人間関係の早い終焉に繋がるのではないかと私は懸念する。

 だからこそ、たとえネット上の関係であれ今回、とあるブロガー仲間が「文通」という言葉を用いて下さったことに、私は一種の暖かさを感じるのである。 
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