原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

料理嫌いな女

2008年08月17日 | その他オピニオン
 自信を持って言うが、私は料理がとことん嫌いだ。
 料理が“苦手”と表現するならばまだしも可愛げもあろうが、“嫌い”と明言する程の真正の料理嫌いである。

 なぜ私が長い期間独身を通したのかと言うと、本当のところは人様に料理を作って「どうぞ、召し上がれ。」などという、背中がむず痒くなるような殊勝な心がけを一切持ち合わせていないためと言っても過言ではない。
 (男性の皆さん、私を嫁にもらわなくて大正解でしたね!!)

 私がなぜ料理が嫌いなのかと言うと、その第一の理由は料理に費やす時間がもったいなくてしょうがないのだ。
 独身時代は特に、やるべき事をいつもいつも山ほど抱えている私にとって、基本的に料理に費やす時間はない。私の生活における料理の優先順位は最下位であった。
 かと言って食べる方は大好きなのである。自分で料理を作らない分、外で食べ歩いたり出来合いの料理を買い込んだりして食べたものだ。独身貴族の身でグルメ三昧の日々を送り、舌だけは十分に肥えている。

 料理が嫌いなもうひとつの理由は、基本的に私は破壊的思考よりも建設的思考を好むためでもあると自己分析している。
 私にとっての料理とは、食材を撒き散らし油を飛ばし、周辺をギトギトに汚染し破壊していく行為なのである。この汚染と破壊が耐えられない。 そのため、私が料理を作ると一動作毎に掃除、片付け作業が入る。至って効率が悪いのだが、周囲を汚染したまま次のステップにはどうしても移れないのだ。


 私は見合い結婚なのであるが、お見合い時にこの“料理嫌い”については公約事項として名言した。そして、現在の連れ合いはそれを承諾した上で成婚に至っている。
 ところが蓋を開けてみれば、この公約はすっかりどこかに吹っ飛んでいて料理をぞっこん依存される日々である。結局は恐るべき“飯炊き女”の日々が待ち構えていたのである。 
 
 料理嫌いにとって一番辛いのは、現在進行中の“お盆休み”や“正月休み”“連休”等の身内の長期休暇である。我が家の場合、これがやたら長いのだ。会社も連休を3日位で切り上げてくれればよいものを、10日も2週間も続くのだ。 普段は長期家族旅行や外食等を多用し何とかしのぐのであるが、ここのところ身内が体調を崩している関係で在宅が多いのである。
 こうなると大変だ。1日3食“飯炊き女”の負荷を課せられ続けると、私の内部に料理ストレスがどんどんと蓄積してくる。そしてこれが許容量を超えると爆発してしまうのだ。 昨夜、ついにこの大爆発を起こしてしまった。子どもも呆れる大バトルを身内と展開してしまった。
 お盆休みも後、今日1日の我慢だ。何とか持ちこたえよう。


 料理嫌いの母(私のこと)にとってもっと気に食わないのは、子どもへの愛情を料理(母の手料理)で測ろうとする社会風潮だ。 
 子どもの保育所入園の際の面談で、「好きな食べ物は何ですか?」との質問が来た。想定内ではあるのだが、私にとっては嫌悪感を抱かされる質問である。子どもが「スモークサーモン」と無邪気に答えたところ、「お母さんの手料理の中から答えてね。」と来た。父子家庭等への配慮にも欠ける発言である。「その言葉、待った!!」と印籠をかざして抗議したいところではあるが、何とか抑えた。結局はこの保育所の旧態依然とした権威主義的体質が我が家の教育方針と相容れず、子どもを入園させなかったのだが。

 もちろん、私なりの食教育は子どもに対し日々行なっている。栄養バランスの重要性、摂取カロリーの適正性の維持、そして子どもの体調、体型の管理に関しては厳しい母である。その成果もあり、子どもは今のところ健康で理想的な体型を維持し続けている。
  

 そうは言っても、世間の大多数の人々の理想はやはり“料理好きな”女性であろうなあ。その気持ちはわかるよ。
 だって、この私も料理好きな奥様が欲しいくらいだもの。 
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