原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

夏休みは家庭の自治の尊重を

2008年08月03日 | 教育・学校
 子どもがどっぷりと夏休み中のため、子どもの教育関連の記事を続けよう。


 夏休みと言えば、日本の学校の場合、宿題(学校から課せられた課題)の多さが一番の特徴である。
 どこのご家庭もこの宿題の多さに頭を痛めておられるのではなかろうか。

 この夏季休暇中の宿題が厄介なのは、その多さのみならず、親子共同作業を暗黙の前提として学校が課している点である。特に小学校の宿題など、どう考えても子ども独力ではこなせない内容ばかりである。

 例えば「自由研究」という課題がある。 
 小学校4年生からこれが課せられるが、研究テーマの設定からして子どもにはハードルが高い。“あくまでも子どもの目線で、日常生活の中で気付いた事や発見した事について研究…”云々と、もっともらしいサブタイトルを付随して課してくるのだが、普通の健全な子どもはそんなものに気付かないよ、とまず私は言いたい。子ども自ら気付いたり発見した事があるとしても、“研究”などという堅苦しい冠を付けたとたんに、子どものキラキラ輝く純粋な発想が色褪せて夢を潰してしまいそうで私は好まない。
 そうは言えども一方で、親にも意地も体裁もある。こういう類の宿題とは学校としては家庭のレベルや教育力を見るのもひとつの目的かと捉えられるため、負けず嫌いな私などはついつい頑張って手伝ってしまう。 これがアホらしいのだ。学校の課題ごときに振り回されて意地になってしまう自分が情けなくもあるし、親子共々他にやるべき事が山ほどあるのに時間の無駄だなあ…、という心境だ。
 
 もっと若返って、小学1年生時の課題に「朝顔の観察」というのがあった。2年生の時には「オクラの栽培」という課題もあった。
 あれとて、朝顔やオクラを枯らしてしまったのでは親としての面子にかかわる。子どもに任せてはおけない。園芸や家庭菜園の趣味など一切ない私も、毎日朝顔の世話に追われ、オクラを育てるのに神経を擦り減らすことになる。 これまたアホらしい。学校に振り回され意に反して土にまみれる自分が情けない思いだ。


 以下に私論を述べよう。

 夏季休暇中の学校からの課題は家庭への過干渉であると私は考える。
 夏休み中くらい、子どもを家庭に返して欲しいのだ。夏休み中くらいは子どもの教育を家庭の自治に委ねて欲しいものである。
 画一的課題を全生徒に課したところで真の文化は育たない、という側面からの問題もあろう。

 普段、毎日毎日子どもは学校へ通っている。好む好まざるにかかわらず子どもは学校中心の生活にならざるを得ない。義務教育である以上やむを得ないし、また学校に通うことにより家庭では経験できない集団生活の中での社会性も身に付く等のメリットがある点は認める。

 だが、またとはない長期休暇である夏休みくらいは、親の立場からも子どもにある程度まとまった事柄に取り組ませたいのだ。例えば、長期旅行であったり、芸術活動であったり…。 子どもの個性を一番理解している親ならではの視点で、普段通学のために取り組みにくい諸活動を経験させてやりたいのだ。これが毎年の学校からの大量の画一的課題により阻害され、断念せざるを得ない場合も多い。断念せずに“公”も“私”もすべてを実行しようとすると、親子共々強行軍となってしまい疲れ果ててしまう。


 日本の学校における夏季休暇中の宿題の多さは、学校が家庭の教育力を信頼していない証拠であろう。また、子どもの個性を尊重していない裏付けでもあろう。
 世間には様々な家庭が存在し、各家庭における子育て環境は多様であることは事実である。自身の教育力に自信がなく、学校からの課題を当てにする保護者も多い実態なのでもあろう。
 ただ、欧米等先進国に比した場合、日本の学校における宿題の多さはやはり突出していると思われる。

 親を育てる意味でも、夏休みくらいは子どもを学校の管理下から離して、子どもの教育における家庭、保護者の自治を尊重して欲しいと考えるのは、私だけであろうか。 
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