原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

医師の過失責任

2008年08月21日 | 医学・医療・介護
 私のお産も壮絶だった。

 高齢出産に加えて逆子だったため元々帝王切開の予定だったのだが、手術予定日より2週間も早く産気付いてしまったのだ。しかも運が悪い事にそれがたまたま祝日で通っていた産院が休診日のため、主治医の電話での指示でひとりで自宅待機することになった。
 ところが、主治医の判断より早い時間に自宅で破水してしまったのだ。既に体が硬直して動けない私は、それでも余力を振り絞り産院へ向かった。
 私と胎児を診察した主治医は直ぐに救急車を手配し、私は大きな病院へ搬送され緊急手術となった。
 体が硬直しガタガタと震えるばかりで麻酔も効かないまま、私は手術台でお腹を切られた。もう自分の命はないものと覚悟を決め、生まれてくる赤ん坊の無事を祈った。手術室は始終緊迫状態だった。赤ちゃんが私のお腹から引っ張り出される時に、お腹が陰圧になってペッちゃんこになるのを実感した。その後、お腹が一針一針縫われるのもすべて手に取るようにわかった。
 緊急手術が終了し、私は憔悴し切っているもののまだ生き長らえていた。

 命が危ういのは私ではなく、赤ん坊の方だったのだ。
 娘は息をせずに産まれてきた。すなわち、仮死状態での誕生だった。手術室が緊迫していたのは、娘が生死の境目をさまよっていたためである。

 あくる日遠路から病院に駆けつけた私の母が、病棟内である噂話を偶然耳にしたそうだ。「ゆうべ救急車で運ばれてきた母子は亡くなったのかしら。」という噂話を。それ程、祝日夜の本来静まりかえっている病院内が私の緊急手術のため緊迫していた模様である。

 (娘のその後に関してはプライバシー保護の観点より詳細の記述は避けるが、医学的、教育学的ケアとサポートをしつつ親子で二人三脚で歩み続けている。生命力の強い子のようで現在元気に生きていることに関しては、当ブログのバックナンバーで時々姿を見せている通りである。)


 この出産に関し、私は医師や病院の過失責任を問う事を検討したことがある。産気づいた日の主治医の自宅待機の判断は正しかったのか、帝王切開手術日の日程の設定が遅すぎたのではないか、また、緊急手術は適切に行なわれたのか。等々、医師や病院に対する不信感は拭い去れず、子どもの将来に対する不安感と共にやるせなく重い気持ちを私は脳裏に引きずっていた。
 だが専門家よりのアドバイスもあり、医師や病院の過失責任を問う事は断念した。そんなことでエネルギーを消耗し疲れ果てたところで、娘が仮死状態で生まれてきたという事実はどうしても消し去ることはできないのだ。私が母として親としてエネルギーを注ぐべきなのは、今後この子と共に歩んでいくことである。

 そして私はきっぱりと気持ちを切り替え、子どものケア、サポートに専念し、今日に至っている。幸い、私には医学と教育、両方の職業経験があるため、それらの知識を十分に活かしつつ日頃子どものケア、サポートに当たっている。これが功を奏しているのか、子どもは中学生になっている今、予想をはるかに上回る成長を遂げてくれている。


 昨日(8月20日)、2004年12月に福島県の病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡した医療事故で業務上過失致死と医師法違反に問われていた医師に対し、無罪判決が下された。
 今回の判決は、治療における医師の判断、手術法の選択にまで捜査当局が踏み込んだものとして注目されていた。
 胎盤をはがすという手術中の行為は医療行為として“グレーゾーン”にあたり、医師に過失責任が問えるのか否かは困難な判断であったようだ。
 ただ、今回の事件は医療行為の評価には透明性と専門性の確保が欠かせないことを示した点で、医療訴訟として前進をみせたと言えるであろう。(8月20日朝日新聞夕刊の記事より参照。) 
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